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消えたとて笑うもの

Miles Monroe: I’m always joking, you should know that about me; it’s a defense mechanism.
― Sleeper
https://www.imdb.com/title/tt0070707/quotes/qt0231356

 自分をつまらない人間と思うから、誰かと一緒にいるときはその人が笑っていてくれないと不安である。笑いはその場を楽しんでいることの証左だからだ。それで飲み会前はあれを話そうこれを喋ろうと、ないエピソードを振り絞ってなんとなく気負ってしまう。
 しかしそうした準備をしたからと言って、帰り道には己のつまらなさに辟易とするのが常だ。だから人に誘われないのだ、と。笑いを生むことの難しさを知っているから、面白い人間がこの世界で一番カッコいいと思う。逆に言えばユーモアのかけらもない人には全く惹かれない。ユーモアとは知性なのだ。人間に対する洞察であり、嗅覚の鋭さだ。笑いを生み出した言葉はその場その場における最適解であり、予想のつきやすい会話の先行きを裏切る奇想天外の発想だ。

Chandler: When my parents got divorced is when I started using humour as a defence mechanism.
https://fangj.github.io/friends/season/0317.html

 一昨年、『フレンズ』にハマり、その中のチャンドラーというキャラクターに惹かれた。愛されたいが誰にも愛されない男による皮肉のきいた知性的な返し。誰に憧れるかと聞かれれば俺は、両親が離婚した9歳の時から防衛機制としてユーモアを使うようになった、とそのエピソードもまた面白く語るチャンドラーに誰よりも憧れる。それからシットコムをいくつか観たが、『フレンズ』よりも面白い作品はなかったし、チャンドラーよりも面白い登場人物はいなかったのだけれど、最近観始めた『となりのサインフェルド』のジョージ・コスタンザがすごくいいキャラをしていた。
 チャンドラーもLoser(「負け組」とは若干ニュアンスが違う)だが、コンスタンザはチビで小太りでメガネでハゲていて、見た目はいかにも冴えない。しかし笑うときに目を細めるその表情がよく、本人もそれを分かっているのか、その笑い顔を効果的に使う。高い声もいい。彼がわめけばわめくほどに哀れな馬鹿馬鹿しさが増して可笑しい。

Gwen: It's not you, it's me.
George: You're giving me the "it's not you, it's me" routine? I invented "it's not you, it's me". Nobody tells me it's them not me, if it's anybody it's me.
https://www.seinfeldscripts.com/TheLipReader.htm

『となりのサインフェルド』は『フレンズ』と並ぶシットコムの最高峰として名高いが、シーズン3を観終えた段階では、いまいち面白さが分からなかった。ずっと観てみたかったので、Netflixで配信されると知って歓喜したのだけれど、実際に観てみたら少しガッカリした。ただシーズン4が最高傑作であるとは知っていたから、最終的な感想はそこまで観て判断しようと、コスタンザの笑いだけを頼りに辛抱していたら、シーズン4から異様な面白さを迎えた。おそらく脚本家がキャラクターの扱い方を完全に把握したのだと思う。今まで一話完結型だったのが、ストーリーを展開させるようになったのも良かった。
 今はまだすべて観れていないのだが、シーズン5のエピソード「The Masseuse」に思うところがあったので、もう別に更新する楽しさを特段感じなくなったnoteを書く気になった。

George: I wanna know what I did to this woman.
Karen: What, you got a little thing for her?
George: No, No! She's going out with a friend of mine. It's only courteous that we should try and like each other.
Karen: What difference does it make? Who cares if she doesn't like you? Does everybody in the world have to like you?
George: Yes! Yes! Everybody has to like me. I must be liked!
https://www.seinfeldscripts.com/TheMasseuse.html

 ダブルデートの後、コスタンザは自分がサインフェルドの彼女に嫌われたらしいことに気付く。いったい自分は何をしてしまったのだろう? それで自分の恋人・カレンに執拗にその相談をするのだが、「なんなの? 彼女に気があるの?」と怒られてしまう。
「違う違う! 彼女は僕の友達と付き合ってるんだぞ? ならお互いを好きになるように努力するのが礼儀じゃないか」
「彼女があなたを嫌いだからってそれがどうしたっていうの? 世界中の誰もがあなたのことを好きでいなければならないわけ?」
「そうだよ! そう! みんな俺のことを好きになるべきなんだ。俺は好かれてなければならない!」

 コスタンザの惨めさを象徴するような発言だ。笑うと同時に嬉しくなった。なぜなら俺もこの世の全員から好かれたいからだ。
 世間では嫌われる勇気を持つ人々が増えている。しかし、嫌われる勇気を持とうと心掛けるだけで他者の目が気にならなくなるのなら、その人はそもそも他者から嫌われることを怖がってはいなかったのだ。
 嫌われることを恐れる人間とは、他者の目など気にしなくていいと分かっていながらそれでも嫌われたくないと感じてしまう人のことだ。他者の意見は変えられない、この世にはいろんな人がいるのだから全員から好かれるわけがない、合う人がいれば合わない人もいる。そんなことは言われなくても分かっているのだ。分かっていても好かれたいのだ。分かっているのにいつまでも嫌われることが怖いからこうして静かに生きているのだ。自分の好きなように生きていかれないのだ。
 嫌われないように人の目を気にして、好かれるように心を砕くこの道は苦しい。泣いてしまいたい。しかし涙はこぼれない。それは涙が悲しみを深めるだけで、決して僕たちを救いはしないと経験的に思い知っているからだ。代わりに軽口を叩く。くすりと聞こえる。冗談を言う。笑い声が上がる。恢復のきざしを感じる。舌が回る。才気が走る。空虚が埋まる。気付けば自分も腹を抱えている。笑いが伝染したその空間には誰もが浮かれる理想郷が間違いなく出現している。瞬間的にとはいえ、この世には存在しないはずの場所を建国できるのだから面白い人はカッコいい。
 笑いの渦が去った後の静けさの中でその人がひとり寂しさや虚しさを感じてしまうのであれば、自分がよければそれでよいと優しさを捨てた人よりも、やがては絶対に幸せになってほしいし、物事は絶対に絶対にそうあるべきだ。


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