I swear I was there.

 今月、その存在自体に感銘を受けたふたりがそれぞれの活動から引退した。存在からして全肯定したい、いや、全肯定すべき人に出会うことが稀なこの世の中で、そのようなふたりがほぼ同時期に引退するとは、生涯においても忘れがたい月に図らずもなった。ひとりとは一度人生が交差した。存在を知ったのはほんの1、2ヶ月前の人だが。長い長いこの人生のほんのわずかのひととき、それは道辻でのすれ違いのようで、後ろ姿を見送ったこのあと先の行方を知る術は残念ながら俺にはない。もうひとりは対岸から崇拝の目で眺めていた人である。寄り道を終えたその人は正道に戻り、別の活動において才華を発揮するということで、対岸からまだ眺め続けられることに安堵する一方で、遠のきながら光り輝くその姿に照らされて俺、真っ黒に染まってなんだか影法師みたいだ。ライブ会場の、有志から贈られたスタンド花に「第2章おめでとう」とメッセージが添えられていた。俺は第2章どころか第0章から先に進めていない、と思った。その人は、「引退」からは切っても切り離せない悲しさや寂しさではなく、光をまとって歌い、自身への祝歌により多幸感あふれる空気を作り出していた。眺めながら考えた。
 俺は......俺はどうしてこうなったんだろう? 小さいころ俺は冗談を言うのが好きな明るい性格の子供だったが、中学の時に全員のことが嫌いになって、高校では誰とも関われず、大学で怯え不安になりながらも他人の存在を少しずつ認められるようになって、それからは数少なくてもこの世界に好きな人を見つけようと試みる人生だった。と書けば嘘になる。正しくはこうだ。俺のものとは異なるルールブックが他者全員に手渡されているこの世界に俺は幽閉されており、ルールがわからず困惑している。俺は俺に渡されたルールブックに則って生きているはずなのにあまりに邪険に扱われるので、不当に評価されている、と感じてしまう。何を言っても誰とも言葉が通じない。意味が分からないと笑われる。どこに行っても俺は蚊帳の外だった。余所者への目を向けられることには、心を傷つけられながら慣れなければならなかった。しかし生きていく中で、どうやらこことは別の世界があるらしい、ということが次第次第に分かってきた。その世界では、俺のような意識の人が認められていた。呼吸ができていた。俗ではない、知の世界だ。だからそこに行きたいと思って、ずっとひとりで脱獄計画を立てていた。そこに行けば自分は初めて生きることができるのだと信じていた。脱出経路を黙々と秘密裡に書き続け、機が熟したと信じて計画を実行したら、序盤も序盤でつまずき、こけてしまった。理由は簡単だった。想像力が足りなかった。それでどうすればよいか、俺は練り直して挑んで、でもダメで、またダメで、ダメで、負け惜しみだろうか、ここ最近は、あるいはそんな別世界は初めからなかったのかもしれない、と思い始めていた。というか、そう思うようにした。思い込むことにした。敗残ばかりで、もう生きていかれないほどに惨めだったから。俺ひとりで俺自身を励まし続けなければならない俺は早急に慰めの言葉を必要とした。そして遅すぎるほどにようやく分かった、俺は存在しない別世界ではなく、今いるこの現実、いま確かにここにあるこの世界であがく方法を模索するべきだったのだ。俺は間違え続けていた。絵空事を現実と見誤ってしまった。その結果、俺の魂は迷い続けるはめになった、低空飛行で光と速度を失いながら。
 しかし冒頭に述べたふたりはまごうことなき別世界の住人だ。やっぱり、ある。別世界はある。それは、そこに行くことが叶わずこの世界に留まり続けなければならない俺にとって、突きつけられるにはあまりにも苦い事実だ。でも、そんなものなんてないんだと泣きながら閉じてしまいたくなる目を覚ますように、やっぱりある、と信じ直させてくれること、そのようなきっかけを与えてくれる存在は絶対に絶対的な救いでもある。
 別れに向けた最後の言葉。生きている意味なんてあるのかな、この世に愛なんてないんじゃないか、自分なんかいないほうがいいのかな、人と関わっても意味なんてないんじゃないか。絶えずネガティブであることを強いるこの世界のそんな要求に対し、ほんとにそうなのかな、と模索を続けること。ひとつずつ噛み締めて考えるのは疲れてしまうし、立ち止まることにもなるけれど、そうでなければ愛の世界に近づくことは永遠にできない。それを6年半もの活動期間に揺らがず心から唱え続けていたその強さを含めて、俺がこの世で唯一美しいと崇める人。その人は言った。活動を始めたのは、ほんとにそうなのかな、という疑問から作った「人と出会うための口実だった」と。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?