ピアニカの文字のせつなさ
熊本の被災地に、状況が落ち着いたら寄付しようと思っているものがある。
それは、大学生になった息子のベッドの下に溜めこまれていた学校グッズ。
ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)、リコーダー、アルトリコーダー、等々だ。
購入するとそれなりの金額がする。
私が過ごした学校は教科書も、楽器類もすべてレンタル式だった。それだけに度々あった息子のグッズ購入には、学校はなぜ数年しか使わないものを買わせるんだ!使いまわしはなぜダメなんだ!と度々不思議だったことを覚えている。
それが、今、役に立つかも。
本当は、発展途上国向けに送ろうと思っていたのだが、昨今のコロナ状況下で何が何でも送らねばならないこともないし、とキープしていた。
それが、国内で利用できるかもしれない事態になるとは。なんともなぁ。
話は戻って。
差し上げるならキレイに掃除しようと思い、ピアニカを開けてみた。
飛び込んできたのは、鍵盤に、決してキレイではない、手書きの文字。
記号のように音符が書かれていて、意味不明なカタカナもあるが、きっと何かのために書いたのだろう。
文字の雰囲気からすると3-4年生頃だろうか。
息子が3-4年生の頃、私は精神的にピークだった。
仕事も忙しいし、海外との時差で夜中も仕事だった。期待も感じた。
母が難病の父と祖母を支えてていた近所の実家も、色々な事件(?)が勃発し、私も仕事の合間に車椅子での散歩を手伝ったり、病院に一緒に行ったり、相談に乗ったり、車を出したり、色々なお役所の手続きを考えたりと手一杯だった。
さらに、我が家には「生きて普通に生活しているのが奇跡」と言われる爆弾を抱えた夫もおり、当時は色々後遺症で分からないことも多く、辛かった。正直、息子(も、色々あったが)が一番分かりやすく、手がかからなかったかもしれない。
家庭でも会社でも、私が持っているプロジェクト数が大量すぎて疲弊するも、誰をどう頼れば良いか分からず、辛かった時期だ。
息子としっかりと親子の時間を取れた記憶があまりない。
常に時間との闘いで、追い立てまくっていた。
子育ても1つのプロジェクトとして裁いてきた感がある。
子育てが終わった今、「ごめんね」と思うことが多々ある。
そんな中で見つけた、このピアニカの文字。
子どもらしい、元気な文字。
「えー、覚えらんないよ。書いちゃえ!」だったのか
先生に指導されたかは分からない。
でも、周囲を気にすることなく、見るからに弾けそうな文字。
そして、消えかかったいくつかの鍵盤に、
きっと何かの曲を一生懸命練習していたのかなと思った。
運動会かな。6年生を送る会かな。入学式かな。1/2成人式かな。
自分の見えないところで、こうやって元気に学校生活を送っていたのだな、と思うと嬉しくなる半面。
幾度となく自宅に持ち帰っていたであろうピアニカのその文字に、今頃気がつく自分に、どんだけ時間を作っていなかったのかとも感じる。
嬉しくもあり、ほろ苦くもある、ピアニカの文字。
記念の写真も撮ったので、この文字を消して、次の子達に引き継ごう。
楽しい記憶が作れられることを願って。
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