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カリスマは消えて、また生まれる。

これは435回目。よくカリスマという言葉がメディアに踊ります。「○△◻のカリスマ」という言い方です。安易にカリスマばかり続出しているので、カリスマの価値が目減りしてしまっているような気すらします。が・・・

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なんでも「カリスマ」というのは、正直鬱陶しいのだ。

かつてホンダの創業者、本田宗一郎が晩年の(それこそ亡くなるほんの少し前に、NHKのインタビュー番組に登場したのを見たことがある)言葉が、わたしの中にずっと残っている。

一つは、人生の目的とか意味はいったいなんでしょうという問いかけに対して、本田宗一郎が言ったのは、「おそらく、感動じゃないでしょうかね。どれだけ生きているうちに感動できるか。」だった。

本田技研が初のF1チャンピオンに輝いた年、かかわった全社員の慰労会が開催されたという。みな勢揃いして本田宗一郎の到着を待っていた。

本田宗一郎は座敷に入ってくるや、その場、末席でいきなり土下座したという。そして、『この快挙は、みんなのおかげだ。ほんとうにありがとう。』と言ったそうだ。

こんなところに、彼の感動というものがよく表れているし、そんな本田宗一郎に社員も「カリスマ」を見たのだろう。「この人のためなら、ついていこう」と思わせるような動機である。

カリスマというものは、おそらくこうしたものだろう。ただ優れているというだけのことではないのだ。

しかし、その本田宗一郎が、先述の番組でだったか、ほかの書物で読んだことだったか忘れたが、やはり晩年にこんなことを言ったという。

「一生を振り返ってみて、唯一取り返しのつかない後悔が一つある。それは、社名にホンダとつけてしまったことだ。」

彼は、自分の生き様、思想、経験が死後に残ってはいけない、とそう思っていたようだ。「カリスマは消えなければならない」ということだ。偉大な遺産が、継承した者たちにとって、致命的な重石や足かせになりかねないということを、すでに本田宗一郎は見抜いていたのかもしれない。

それでもホンダは今も健闘しているが、果たしてその健闘ぶりは本田宗一郎が期待していたようなものかは、わからない。「きみたちは、こんなていどのものではないはずだ」という叱咤する声が聞こえてきそうではないか。

本田宗一郎は、後に続く者たちが、自分を乗り越えていくことだけを臨んでいたのだ。それが「生涯唯一の悔い」と言わしめた本音だろう。

そういえば、松下電器産業から「松下」の名は消えた。パナソニックだ。二度にわたって、重大な危機に直面し、今這い上がる苦闘の中にあるパナソニックだが、単に名前を変えただけではなく、きっと「松下」を越えていくことになるのだろう。そう信じたい。

確かに昔から、英雄待望論というのがあった。その延長上にあるのが「カリスマ」羨望論になっているのかもしれないが、ネガティブな見方ばかりでもいけないような気がする。

というのは、社会構造が変わってきたのだ。企業価値の源泉の8割が無形資産であると言われている。

2018年にダイキン工業は、東大に100億円の研究開発費を投じると発表して耳目を集めた。ダイキン工業が運営するエアコン工場1棟分の投資に当たる。

指導部はこういった。「日本最高の知性にアクセスする権利を買ったのだ。」

最高学府の東大ばかりが優れた知性ではない。まだ無名のベンチャーや、ベンチャーを目指す人たちもそうである。

本田宗一郎や、スティーブ・ジョブスや、イーロン・マスク、あるいはジェフ・ベゾスのような「カリスマ」を目指す若い人たちはあちこちから生まれてきている。

数が多くなってきているから、カリスマという言葉はインフレ気味になり、その価値が減滅しているわけだから、どうしてもわたしのような人間から見ると、安っぽく見えてしまうのだが、それはそう見えてしまっているだけのことで、ほんとうに安っぽくなっているわけではない。なにしろ、無形資産がそこにあるのだから。

スタンフォード大学の研究によると、S&P500指数を構成している主要な米国企業の時価総額のうち、特許など姿の見えない無形資産が生んだ価値の比率は、過去40年間で17%から、なんと84%に及んでいるという。

富の源泉は明らかにモノから知識やデータに移行する時代に突入しているのだ。

往年のカリスマは消えていかなければならない。

一方で、新しいカリスマは今日もまた生まれ始めている。

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