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UFOとの交戦記録(上)

これは361回目。UFOの話は、なにが嘘でなにが本物か、これまたよくわからない話です。したがって、「公式記録」を追っていくのが一番です。とくに軍、とりわけ米軍の公式記録がなにより真実に一番近いはずでしょう。

(一部、以前書いた【国家機密としてのUFO】と重複しています)

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2008年11月14日、バチカン。ローマ教皇庁のトップに君臨する法王ベネディクト16世は、「神はアダムとイブと共に、地球外生命体を創造された」という声明を発表した。これは、国家として、地球外生命体の実在を認めた、最初の公文書として記録された。

そして、2010年6月7日、午前4時(現地時間)、バチカンの上空にUFOが出現。この映像は、大々的に報じられた。Youtubeでも観ることができる。

サンピエトロ大聖堂の上空90m付近を、三機のUFOが発光しながら、デルタフォーメーション(三角編隊)で高速飛行してきた。その物体の挙動は航空機や戦闘機、流星とは明らかに違った。やがてUFOは、大聖堂上空にぴたりと停止。ときおり消えたり現れたりし、そして最後は消えたまま二度と現れなかった。

それにしても、なぜ、バチカンは今、地球外生命体を唐突に認める声明を発表したのか。なにかが起こることに対し、事前に伏線を引いたということであろうか。それは声明から2年後の、このUFO出現事件を予知していたということにすぎないのか。それとも、もっと重大なことがこれから、地球上に起ころうとしているということなのだろうか。

少なくとも、「神と地球外生命体」という二つの概念が共存することは、バチカン(宗教や信仰)にとって重大な問題にはならない、と判断したということだろう。これに対して、アカデミズムのほうが、はるかに頑迷固陋(ころう)である。

かつて、ダーウィンが「進化論」を発表したとき、世界中がこれに拒否反応を示した。とくに学界と宗教界がである。長い年月の後、ようやく進化論が浸透し、定説となった。今度はその矛盾や問題点に対してあらたな仮説が出てくると、またしても学界が拒否反応を起こす。ダーウィン自身が、「進化論が最も当てはまらないのは、人間である」と匙(さじ)を投げていたにもかかわらず、である。

国際政治の舞台で、実在を断定こそしていないが、明確に「地球外生命体」という言葉が公式記録として登場したのは、もっと早く1980年代である。

1985年ジュネーブで開かれた米・レーガン大統領とソ連・ゴルバチョフ書記長の首脳会談は、SDI(宇宙防衛戦略構想)いわゆる「スターウォーズ構想」について議論されたものだ。

そして、その直後、同年12月4日、メリーランド州フォールトンで、レーガン大統領は、「もし宇宙人の種族がこの地球にやってきて、我々に脅威を及ぼすような事態が起こったら、我々は一致協力してこれに当たらなければならない。」と演説している。

さらに1987年9月21日第42回国連総会でも、レーガン大統領は、「地球外生命体による脅威に直面したら、世界中の国々でのいろいろな行き違いは直ちに消滅してしまうだろう。」と同じ趣旨の演説をしている。

また、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長も、1987年2月16日、クレムリンのソ連共産党中央委員会で全く同じ演説をした。

「ジュネーブでのレーガン大統領との首脳会談で、レーガン大統領は、『もし宇宙人による侵略があったら、米国とソ連はお互いの戦力を結集してこの侵略に立ち向かわなければならない』と言った。私は時期尚早だと思うが、今から準備をしておくことが大切だと思う。」

世界の二大軍事強国のトップが、直接地球外生命体のことを議論し、このことを公表しているのである。この二人の発言の延長上に、最も教義上抵抗感を持っているはずのバチカンが、21世紀にはいってようやく、「実在」を認める発表をしたわけだ。

さて今回は、軍隊が関与したケースを取り上げてみようと思う。おそらくこの地球上で、もっともUFOと対峙し、もっともその事実を隠蔽してきた最大の主体であると考えられるからだ。

アメリカでは、情報公開法の成立以来、おびただしいUFOに関する極秘文書が公開されている。重要な部分は、黒ベタで塗りつぶしてあるものの、それでも書かれている事実は驚くべきものばかりである。なにより貴重なのは、音声や録画も含めて公開されているということである。

最も古く、そして最も大規模なUFOと米軍との交戦記録は、1942年2月25日のロサンジェルスにおいてだった。

日本軍の真珠湾攻撃の3か月後である。米国は当時、日本軍の米国本土攻撃を視野に入れており、歴史始まって以来の西海岸の防衛体制を急いでいた。防衛拠点付近で光と照明弾が目撃されたため、2月24日午後7時18分から4時間にわたって警戒体制が発令された。

翌25日の午前2時15分、レーダーが194km沖に未確認の物体を捕らえたため、2時25分からロサンゼルス市に空襲のサイレンが鳴らされ、灯火管制が敷かれた。当然、日本軍の航空隊による空襲という認識だったのである。

午前3時16分、海上から侵入してくる未確認飛行物体に向けていく筋もの探照灯が照らされ、対空砲による砲撃を開始された。

飛行物体の種類は少なくとも2種類。赤か銀色をした小さな物体。高い高度から編隊を組んで侵入し、最大時速29,000kmの猛スピードでジグザグに飛んでいた。

レーダーに捉えられた物体は地上から見ると発光しているように見え、しばらく停止した後、内陸部に向かって移動し、カルヴァー・シティー上空で探照灯に捕捉されて写真を撮られている。対空砲火にはびくともしない様子だった。

物体は、やがて時速75kmのかなりゆっくりした速度でサンタモニカの海岸まで進み、そこから南のロングビーチへ向かったところで見えなくなった。

対空砲火は午前4時14分までの間の58分間に1,430発の砲が撃ち込まれたが、一機のUFOをも撃墜することはできなかった。UFOから爆撃などの攻撃は一切なかったが、高射砲弾の破片で建物に被害が出て、3人がパニックによる心臓麻痺で亡くなった。

事件二日前の2月23日には日本海軍の潜水艦が、サンタバーバラ北にあるエルウッドの町の沖合2.3kmに浮上し、燃料タンクに向けて20分間砲撃を加えるという事件があったため、心理的なストレスによって、気球その他をUFOと誤認して、集団的なパニック状態になったのだ、と政府や科学者たちは話を収めた。

実際、事件翌日にはフランク・ノックス海軍長官が、「当夜戦闘機は一機も飛来せず、戦時下で神経過敏になっていたことによる、何かの見誤りであった」という政府見解を発表をした。

しかし、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長はルーズヴェルト大統領に宛てた文書の中で、自分の見解を以下のように述べている。(この覚え書きは長い間国防総省から存在を否定されていたが、後日情報公開法によって公開されたものだ)

・未確認の飛行機複数がロサンゼルス上空にあり、対空部隊の射撃をした。

・15機にのぼる飛行機がいたと思われ、飛行速度は非常に遅いものから時速200マイルまで様々な報告がある。

・高度は9,000から18,000フィートの間。

・投下された爆弾はなく、味方部隊の被害もない。撃墜された飛行機はない。

・アメリカ陸軍機も海軍機も飛行していなかった。調査は続行中である。

・UFOの飛行速度や高度の報告がまちまちなのは、実際にそうした様々な速度で飛んでいたというより、まともに計測ができなかったためだと考えられている、等々。

続行中とされた調査の続報は見つかっていない。おそらくこれ以上のことがわからなかったためであろう。米軍にしてみれば、相手を撃墜もできなければ、正体もわからないままであったのだから、大失態である。もし何も飛んでいなかったのにあれだけ砲撃したのであればなおさらの失態だ。一度出した政府見解をすぐに引っ込め、その後事件をうやむやにしてしまったのもそんな事情があると推察される。

しかし、この事件は政府や軍が隠蔽しようにも、目撃者が多すぎたのである。数十人、数百人ではない。数千人、下手をすると(統計が無いのでわからないが)数万人の規模で、対空砲火と空中を飛行するUFOが長時間にわたって目撃された、劇的な事例である。

この第二次大戦中には、欧州大陸上空の空爆や空中戦において、謎の火の玉に、米軍機やドイツ軍機が、敵味方を問わず長時間にわたって追い回される現象が、頻繁に起こり、報告されている。

(続く)

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