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UFOとの交戦記録(下)

これは363回目。次はベトナム戦争中の交戦記録です。

(一部、以前書いた【国家機密としてのUFO】と重複しています)

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朝鮮戦争後、今度はベトナム戦争が始まる。そこで、米軍とUFOの交戦事件は、ますます激化していった。

1968年6月15日、ベトナム戦争たけなわの頃のことだ。「軍事境界線事件」がある。南北ベトナムの軍事境界線付近(クア・ヴィエト)で、ピート・スナイダー中尉らは、哨戒艇(PCF12)で海岸から河口の潮間帯(ジャングルによくある、海と河との中間水域)を、夜間の水上巡回していた。

午前零時半、スナイダー中尉の一隊は、別の哨戒艇(デイヴィス中尉らの、PCF15)から緊急連絡を受けた。連絡は切迫した内容だった。デイヴィス中尉らの哨戒艇が、敵(北ベトナム)のヘリコプターらしき未確認飛行物体から攻撃されており、甚大な被害が出ているので、至急来援請うというものだった。

しかし、当時北ベトナム軍には、ヘリコプターは無かった。この「敵のヘリコプター」とは、当時の軍において、UFOを指す隠語である。

スナイダー中尉らは、現地に急行。すると、PCF15の上に、不思議な光を放つ二機の空飛ぶ円盤が空中停止しており、上部には、透明なドームがついており、中に二人の操縦士と思しき影が確認された。

すると、円盤から眩しい光がPCF15に照射され、次の瞬間PCF15は爆発して、吹き飛んだ。円盤は、たちまちジャングルを超えて海のほうへ飛び去った。スナイダー中尉らは、PCF15のクルーの救助を行ったが、生存していたのは2人だけだった。

この生存者から、PCF15が、何キロも円盤に追跡されていたという話を聞いたスナイダー隊は、今にも円盤が戻ってくるのではないか、と警戒態勢を敷いた。

すると突然、PCF12は通信機能が停止してしまった。同時にエンジンを担当していたジェフ・ステフェスが、哨戒艇の両側に二機の円盤が空中停止しているのを発見。

そこで二機は哨戒艇に接近を始めた。スナイダー中尉は、クルーを全員甲板に集合させ、攻撃命令を下した。しかし、発砲しても、まったく二機にはダメージが無いように見えた。それどころか、逆に二機から銃弾の雨を浴びたのである。

PCF12は、被弾を避けるため、高速で現場を離脱。蛇行しながら逃走を試みた。その間も、クルーはひっきりなしに追いすがる二機に発砲を続けていたが、銃弾を撃ち返してくる二機には、どうも兵器らしいものは見当たらなかったと証言している。(つまり、円盤のどこの部位から銃撃してきているのか、わからない。)

スナイダー中尉は、PCF12を河口から南シナ海沖に脱出、沖へ向かって脱兎のごとく逃走。米海軍艦隊が終結している海域を目指したのだ。円盤二機は、哨戒艇の速度に合わせて、あとから追尾し続けていた。PCF12の銃弾は早くも、底を尽き始めていた。

スナイダー中尉は、司令部に状況の通信連絡を試みるが、ブツブツバチバチと通信機が誤作動し、なかなかうまく伝達できなかった。

PCF12の断続的な通信連絡を受けた司令部では、「敵」の実体が不透明なまま、救援行動に出た。午前3時20分、近くのダナン要塞からファントムF4戦闘機二機をスクランブル発進させ、救援に向かわせた。ファントムがPCF12を視認する距離まで到着すると、円盤二機はあっという間に、海上を飛翔して消えた。

この同時刻、南シナ海を巡回していた、友軍の国連軍(オーストラリア海軍)の軽巡洋艦ホバートでは、夜の海上に、30機の光る円盤が上空旋回するのを確認している。

この状況を艦長が司令部に連絡していると、二機の円盤が接近してきた。艦長はそのことも、その時点で報告している。おそらくこの二機が、先刻、スナイダー中尉らのPCF12を襲った二機と同じものだと推測される。

一方、PCF12の救援に向かったファントム二機は、消えた円盤を索敵しながら、海上を飛行していた。そして、南シナ海上で、豪艦ホバートに接近する円盤二機を発見し、ただちにミサイル攻撃を行った。このミサイル発射で、突然円盤はまた消えてしまった。

豪艦ホバートや、ファントム、PCF12は危機を脱したかに見えた。ファントムは、ダナン要塞へ帰還し、軍事境界線は再びいつものように静まり返った。しかし、話はこれで済まなかった。

米海軍は、その直後に被害の分析を行っている。奇妙なことに、スナイダー中尉らの哨戒艇に打ち込まれた円盤の銃弾とは、PCF12自体が発砲した銃弾であった。しかし、周囲にはPCF12一艇しかなく、デイヴィス中尉らのPCF15はすでに爆破・沈没していたはずである。
友軍の銃弾ということは、ありえない。

自分たちが撃った銃弾が、跳ね返されたかのように、自分たちを襲っていたのである。理解不能である。

翌日夜、豪鑑ホバートはいつも通り、南シナ海上を哨戒していた。中国・海南島付近である。海も空も、不気味なほど静かな夜だったという。明け方、突然何の前触れもなく、右舷に、ミサイルが撃ち込まれ大破した。乗員(電気技師)一人が死亡。二人が負傷。

乗員は総出で戦闘準備に入った。円盤がいた。右舷側であった。乗員たちは、全員このとき円盤を目撃している。すると、円盤はまたたくまに消えた。

その6日後、豪艦ホバートが攻撃された海域から南に8キロの地点で、やはり円盤が確認された。この目撃回数は、スナイダー中尉の遭遇した日以降、合計6回を数えた。

米豪軍は合同で調査に乗り出した。豪艦ホバートが攻撃されたのが、海南島付近であったことから、中国軍による攻撃という可能性も否定できなかったからである。

ところが、驚愕の事実が判明した。ホバートに打ち込まれたミサイルの破片から、ミサイルのシリアル・ナンバー(製品番号)が見つかったのである。なんと、それは、前夜、ダナン要塞から発信したファントム4が円盤に向けて撃ったミサイルのシリアル・ナンバーと同じだったのである。

情報公開された極秘ファイルや、生存者の目撃証言などからは、上記のような事実が判明しているが、当時の正式な事件調査報告書には、米軍による誤爆ということで、ホバート被弾の一件は処理されている。

公開されている極秘文書では、1973年のものに、ベトナム戦争中、軍高官たちはUFOの存在を認めていたという内容が確認されている。

ジョージ・ブラウン海軍大将自身、73年10月の記者会見で、実際、UFOに悩まされていると発言している。「敵のヘリコプター」という隠語も、そこで紹介されている。

1968年から1978年まで(つまり、「軍事境界線事件」発生のころ)ブラウン大将付きの連絡兵だったジョージ・ファイラーは、毎朝、現地からの連絡情報を、ブラウン大将に届けていた。その当時、ブラウン大将は彼に、「どうも空飛ぶ円盤は、特殊な磁場で守られていて、銃弾を跳ね返すことができるようだ」と語ったと証言しているから、この事件と話も時期も符号する。そのほかにも頻繁に、UFO関係の情報は、ブラウン大将のもとに届いていたと述べている。

そして、このブラウン大将は、先述の豪艦ホバートが被弾した一件にしても、「当日、ホバートの周囲には友軍も敵軍も存在しなかった」と、ずっと後年になって証言している。

この「軍事境界線事件」では、UFOは、米軍の持つ武器を利用して、米軍を攻撃したことになる。それが、もしUFO自体の兵器で攻撃をされたとしたら、もはや米軍にはなすすべもないと容易に推測できる。

そしてこの事件以降、米軍は全軍に対して、UFOと遭遇した場合に、一切の攻撃を禁じ、退避行動をとるよう命じ、それまでの攻撃スタンスを真逆に変更している。先述のジョージ・ファイラーも、当時、航空管制官たちとずいぶん話をしたが、彼らはレーダーでUFOを確認したら、現場近くの米軍艦船・戦闘機に対して、「退避せよ」と指示を出し続けている、と言っていたそうだ。

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