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ダメージ・コントロール 2

これは427回目。続きです。

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311のケースを考えた場合、津波という恐るべき自然の来襲というものにどう対処するかというと、一つには生活圏そのものを高台に移すという考えが出てくるわけだが、人情として、また長年の風土・文化性からいって、またそういう場所が近くに確保できないという場合もあり、結局かなりの割合で、津波の被害地に舞い戻るということが多い。

なら、どうする、というところでダメージ・コントロールの出番になってくる。代替地が期待出来ない場合(もとの土地に戻る場合)、津波がくれば、間違いなく再び強烈なダメージを浴びることはほぼ疑いない。

わかりきっていてそれを行うわけであるから、当然ダメージ・コントロールが必要になってくる。

ダメージは不可避であるという前提のもとに、どれだけそれを最小限に留めるかという手立てだ。

シェルターのようなアイデアも一つなのだろう。第二次大戦中のドイツのブンカーのようなものだ。

空爆にすら耐えられる強靭な鉄筋コンクリートのシェルターだが、換気や分娩室など完璧なインフラを整え、1基に3万人収容可能というものが全土につくられていた。

逆に津波対策に限っていえば、防災タワーをたくさん建設して、津波発生から10分以内には近隣の住民すべてが退避できるような施設のような考え方もあるだろう。従来より大型の防潮堤の構築と合わせれば、シェルターよりはコストが抑制されて、なおかつ住民の退避時間をいくぶんか稼げるという利点もある。

それでもダメージは確実に発生する。それも「想定外」の事態であればあるほど、大きなダメージである。

しかし避けられないダメージであればあるほど、それを「捨てる」前提で対策を考えるのがダメージ・コントロールである。

1945年8月15日以降、戦争と言わず、自然災害と言わず、相場暴落と世界でもまれに見る長期デフレ経済と言わず、疾病のパンデミックと言わず、何度と無く性懲りもなく敗戦を繰り返してきた日本の政治風土には、いったいいつになったらまともなダメージ・コントロールの考え方が根付くのだろうか。

「前例が無い」という一言で、思考停止になるのは、なにも官僚の専売特許ではない。政治家も、そして民間企業組織でさえ同じである。

ようするに日本人の思想上の疾患と呼んでも言い過ぎではないと思う。

今、日本は先進各国に比べて感染の程度が相対的に低い。が、そのデータはそもそも間違っているかもしれない、というところからダメージ・コントロールの発想がでてくる。

具合が悪くなり、保健所に新型コロナ・ウイルスかどうか検査を申し込んだところ、あなたの病状は基準に達しないので検査を受けられないという拒否に遭った人は多い。

検査キットが不足しているという状況もあっただろう。

いずれにしろ、検査が十二分に行われたとしたら、現在の感染者数より格段とデータが増大することは火を見るより明らかであろう。

アメリカでも、欧州でもロックダウン(都市封鎖)に早々と踏み切った。日本は「要請」にとどまっている。有事というものに対して認識の甘い日本人は老若男女問わず、いまだにクラスターの温床づくりに手を貸して悪びれないありさまだ。

東京都は国家が緊急事態宣言を発令し、事実上の「戒厳令」を敷くべきだという強硬策を主張した。

動かない政府に対し、業を煮やした医師会までが同意見である。

小売やサービスなど甚大な被害を被っている業界をかかえた経済団体でさえ同様の主張をするところが出てきている。

政府は二の足を踏み、野党は独裁権力に発展しかねないと批判する争点は一つ。法的規定が無い、ということだ。

あの人たちは、超法規ということが考えられないのだろうか。かつてバングラデシュのダッカで、日本赤軍が日航機をハイジャックし、仲間の釈放を要求した事件が起こった。

あのとき、日本は(それが良かったか悪かったかは議論はあるが)「人命は地球より重い」と言って、赤軍の要求に応じたわけだが、まさに超法規的措置だった。司法を曲げたのだ。各国から轟々たる非難を被ったのは当然である。

だからあれが良かったかどうかはともかくとして、超法規的措置の前例などいくらでもあるのだ。

それより、今どうするかが問題なのだ。恐らく本音は、ここでロックダウンした場合に、とんでもない経済失速に陥るという畏れを抱いているというところだろう。

ならば、ここでロックダウンせずに、感染拡大の「様子を注意深く見る」ということによって、仮に「想定外」のパンデミックが全土に及んでしまった場合に、失われる人命の数と、経済損失の長期化というものにどう責任を負うつもりなのか、ということなのだ。

自然災害や戦争のような実物インフラが毀損するわけでもない。「ただの」疾病感染拡大である。

一時的な経済失速は、今発動しつつある金融政策と財政出動によって、終息後は倍返しで景気浮揚効果を過剰なほどもたらすことは、素人でもわかる話だ。

にもかかわらず、緊急事態宣言発令に二の足を踏む日本人の精神文化というものには、ほとんど何度戦争をしても必敗の国なのではないかという、あきらめにもにた気持ちに陥ってしまうわたしがいる。



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