人は他人に、いったい何ができるのか
これは42回目。人はなんのために生きるのでしょう。自分のため。これは当たり前です。議論にもならない。問題は、自分以外の人のためのときです。古くて新しい、矛盾です。
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西洋のキリスト教と東洋の論語(孔子、儒教)とでは、人間の姿勢について、ずいぶんとアプローチが違う。どちらが良いとか優れているとかいうのではない。どこに重点を置いているか、ということにほかならない。
聖書では、あまりにも有名な「人はパンのみに生きるにあらず」とある。その崇高な理想主義的なたたずまいは、孤