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#考古学・オカルトネタ集#知ってはいけない話

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毎日更新しているエッセイをテーマでまとめてみました♪
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続・ミッシング・リンク~日本人に差し込まれた遺伝子

これは64回目。ミッシング・リンクの続きです。今度は、ヒトではなく、日本人です。おかしなこ…

『みろく』の世~ネアンデルタール人も同じ月を見ていたのか?

これは60回目。むかしむか~し、人類が見ていた夜空や、地球の風景というものは、基本的に今と…

密林の記憶~その人は蝶を追っていた

これは58回目。熱帯のジャングルの中で、こんな人に会いました。 ::: 若い頃、勤めている…

ご利益の話~一応、ツボがあるようで

これは47回目。ご利益の話です。一応、それにはツボがあるようなのです。 ::: 苦しいとき…

第七騎兵隊全滅~歴史はほんとうに人間の真実なのか?

これは45回目。歴史というのは、表面的になにがあったかという事実認定でだけでも、大変です。…

南京のまぼろし~一体ほんとうのところ、なにがあったのか、なかったのか

これは44回目。お隣の中国とは、1986年の文化大革命終了以降、ことあるごとに歴史問題でもめ事…

人は他人に、いったい何ができるのか

これは42回目。人はなんのために生きるのでしょう。自分のため。これは当たり前です。議論にもならない。問題は、自分以外の人のためのときです。古くて新しい、矛盾です。 ::: 西洋のキリスト教と東洋の論語(孔子、儒教)とでは、人間の姿勢について、ずいぶんとアプローチが違う。どちらが良いとか優れているとかいうのではない。どこに重点を置いているか、ということにほかならない。 聖書では、あまりにも有名な「人はパンのみに生きるにあらず」とある。その崇高な理想主義的なたたずまいは、孤