【短編】服を売って古本を買う

 ある日のこと、寺町通の古書店を覗いてみると、店主のいるカウンターの足元に積まれた本の中に内田百閒の全集が半ば埋もれるようにして置いてあるのに気付いた。講談社の内田百閒全集全十巻。定価は一冊四千二百円也。全巻を束ねている紐に括り付けられた値札には七千数百円と書かれていた。

 以前これを別の古書店で見つけたときは確か一万数千円だった。それと比べたら破格に安いように思われたので店主にこの値段で間違いはないのかと恐る恐る尋ねてみた。すると店主いわくボックスカバーに濡らした染みがあることと書き込みがあるからこの値段にしたという。
 内田百閒の著作と言えば阿房列車とサラサーテの盤しか知らなかったが他の作品も読んでみたいという意欲は旺盛だったし、全集がこの値段で買えるとなると無性にこれが欲しくなった。そこで所持金を確認したところ全く足りない。強面の店主に恐る恐る取り置きが出来ないか訊ねてみたがそれは出来ないという。
 これを欲しいと言っている学生が他にもいるから早い者勝ちだよと店主が言った。暫く思案した結果、いま買わなければ今日か明日にでも誰かに買われてしまうだろうという結論に至った。ならば縁が無いものと思い諦めればよいという気にもなれず、自転車で十数分離れた場所にある古着屋に行き、その時着ていたパタゴニアのフーディをその場で脱いで買い取ってもらった。査定金額は予想よりもはるかに低かったが所持金と足せばなんとか買える金額になった。
 顔を紅潮させ息を切らせながら戻ってきたわたしの顔を見て、そないに慌てんでもよかったと思うでと強面の店主が笑いながら言った。

 京都の冬は寒さが厳しい。夕方になると気温もだいぶ下がり吐く息もすっかり白くなった。スウェットの下にシャツブラウスを着てマフラーを巻いただけの身体には寒さが堪えた。店主に梱包した内田百閒全集を自転車の後ろに括り付けてもらい、そのせいでずいぶんと重たくなった自転車を一時間近く押して北野天満宮近くの住み家に帰った。もうすっかり日が暮れていた。
 火傷しそうなくらいに熱い湯を張ったバスタブに冷え切った身体を沈めてそれでもなかなか身体が温まらずに震えていると五日分の生活費を使いきってしまったことに気づいた。おかげでそれから五日間はバイト先のまかないだけの一日一食で命をつなぐ羽目になった。

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