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ASDの検査と父の変な愛の話(前編)

 2020年に某大学病院の精神科で発達障害(ASD)の検査を受けた。いまの配偶者や父親と話をしていて、また自分自身でも私はASDかもしれないと思ったからだった。
 私は相手の感情を読むのがとても苦手だったりその場の空気を読むのがとても下手だったり、一対一でないと会話が出来なかったり話し始めると多弁で延々と話し続けてしまったりする傾向がとても強い。
 そこで私はかかりつけの精神科の主治医に相談した。そしてASDの検査を実施している病院が県下にいくつかある内の、その中で自宅から一番近い大学病院の精神科で検査を受けることになった。
 そして主治医に検査の予約をしてもらったのだがなんと3ヶ月待ち。そして検査を受ける日程が決まり事前にアンケート用紙が送られてきた。さっと目を通してみると幼稚園や小学生のときの日常生活について親からの目線でそれぞれの質問に答えて欲しいというようなものであった。
 なかには私でも答えられそうな質問もあったが親が回答するということなので私が回答する訳にはいかない。そこで父に頼むことにしたのだがどうにも嫌な予感がした。
 母は既に亡くなっているので自ずと父に頼むことになるのだが、父は仕事にかまけて家庭をほったらかしにしてきた人なので私の養育には全く関与していない。私ときちんと向き合うようになったのは母が亡くなってから3年後、私が高校二年生になってからである。それまではいわゆるネグレクトであった。だから父は私の幼少期についてのアンケートになんか答えられる訳が無いのである。
 それでももしかしたら父は父なりに私のことを見守っていてくれていたのかもしれない。そんな一縷の望みを抱きながら父に検査の主旨を説明してアンケートに答えてもらうよう頼むと父は二つ返事で引き受けてくれた。「分かった。任せろ」という父に対して大丈夫かなという気持ちとやはり信じてよかったという相半ばする気持ちでアンケート用紙を託した。そして1週間後に父からアンケート用紙が返ってきたのだがそれをみて私は愕然とした。そこに書かれていたのは私の実際の姿からは著しく乖離したいわば「父の考えた理想の私の姿」だったからだ。
 そこに書かれていた私の姿は卓越したリーダーシップで率先してクラスの皆を引っ張り、学業も優秀な成績が収めていて常に多くの友人達に囲まれクラスの人気ものだったという内容だった。
 実際の私といえば友人などおらず自ずとリーダーシップなるものも持ち合わせておらず、体育がある日は仮病で学校を休み、ドッジボールなどでは仲間に入れてもらえず、宿題を忘れてクラスの皆の前で叱責されるような子だった。
 そんなわけであまりにも実態と乖離していることに驚いた私が父を呼び止めて問い質すと、父が知る私は間違いなくこうだったと言い張る。なにぶん幼少期のことだから私も自分の記憶が正しいと言い張る自信がない。どうにも納得できない思いを引きずったまま、こんなことで言い争うのも嫌だし仕方がないと引き下がった。
 そんなこんなで検査の日がやって来た。そして父が回答したアンケートがこれから行う検査の結果に大きな影響を与えることになる。

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