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ASDの検査と父の変な愛の話(後編)

 (前編からのつづき)そうこうしているうちに検査の日がやってきた。検査は2日に分けて行われて、初日に問診で2日目に様々な検査というスケジュールだったと記憶している。
 様々な検査というのは簡単な計算問題をどれだけ早く正確にできるかとか、図形の問題やその他にも国語や理科、それから社会と時事問題についてなど。つまりはIQテストであった。ただ申し上げておくが記憶がさだかではないところもあり、実際には2日ではなかったかもしれないし検査の項目ももっと他にもあったかもしれない。
 そして1週間ほどで出た検査結果はきわめてASDに近いグレーというものであった。なに?グレーですとな?
 担当医曰く、テストの結果は得意なものと苦手なものの差がはげしくて、得意なものについては平均値よりもずば抜けて良い結果だった。これは発達障害の人に顕著にみられる特性らしい。
 ただ担当医曰く問診と検査の結果は申し分なくASDなのだがアンケート用紙による幼少期の様子にASDに顕著にみられる特性が無いからグレーというものだった。
 そういったことを説明してくれている担当医もこの結果に戸惑っている様子で、このアンケートに回答してくれたのは親御さんなんですよねと私に訊いた。私は「はい、そうです」とだけ答えた。ここで「いや、父は私のことを何も知らなくて」と言ってしまったら、そんなことじゃ困ります!といった具合に担当医に叱られるような気がしたからだ。それでも担当医はグレーという診断に戸惑っている私に何度も丁寧に説明してくれて、気を遣ってくれていたのかもしれない。
 私は担当医の話を聞きながらなんとも言えないモヤモヤした気持ちに囚われて、そして脱力してしまった。要するに父の書いた「父が考えた理想の私」のおかげで私はASDと診断されなかった訳だ。じゃあ私自身が私の記憶通りにアンケートに回答していたらどうなったのだろう。タラレバの話をしても仕方がないしもう1回検査し直してくださいとも言えない。私はその検査結果を飲み込むしかなかったのだが、うーん、父が書いたあのアンケートの内容のせいで限りなく黒に近いグレーだなんて…。
 ASDはモヤモヤした結果がとても苦手なのである。ASDの特性上白黒はっきりしていないと理解するのが難しい。そんな私にあなたはグレーといわれても、えっ?それは白なんですか?黒なんですか?どっちなんですか?といった具合にきちんと処理できなくてどうしたらいいのかわからないのである。
 結果についてはASDでもそうでなくてもどちらでもいい。別に私はASDなんですと言いたいわけじゃないし。ただはっきりさせることでいま抱えている生きづらさや様々な問題に対処できるし、精神的にもホッとする。
 というわけでASDに限りなく近いグレーと診断された私は4年が経ったいまでもモヤモヤしている。もう一度検査を受けようかどうか思案中である。
 最後に、ありがた迷惑だった父のアンケートの回答については、人様に私のことを良く見せたいというような父なりの愛だったのかもしれないと思っている。でもそれは父のエゴでありまた立派な詐称なのですが。でも父の目に映る私は本当にそうだったのかも知れないし、どうなんだろうと考え始めてしまうとこれもまたモヤモヤするのである。うーん、やれやれ。

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