人生年表その2。

さて、その1では生まれてから小学生の途中までのことでしたね↓

では、続きをば。

習い事はその1でも紹介した公文の他に、ピアノと、バレエと、水泳と、
途中から英会話と。
あと、絵画教室に通っていた時期もあったな。
そんなわけで、毎日習い事で、正直友達と遊ぶ時間はなくて。
いざ奇跡的に友達と遊べる時間ができても、もはや何していいか
わからんかったよね。
てかいまだにわからんよね。

と言いつつ?、小学生になると、恋多き乙女になり、
常にクラスに好きな人が複数いる状態だったり笑
友達と交換日記したりで、ぼっちてことはなかったような。

そんなこんなで小学5年生の途中で、名古屋市某区①へお引越し。
これを機にバレエはやめました。
それまで過ごしていた福岡では、クラスみんなで仲良し、だったのが、
名古屋では女子の仲良しグループ的なものができていたこと、
そしてそのグループ云々のトラブルに圧倒されたっけ。
あといわゆる名古屋弁ね。
(机つってーって…え?え?つる?ってね。ちなみに、机を運ぶという意味です。)

中学に上がるのは本当に楽しみで、当時やっていた進研ゼミでもらった
進学準備の漫画を読み返しながらワクワクしてたなー。
いざ入学、小学生の時からそうだったけど、
学級委員的なお仕事が好きで、学級委員やったり、
ピアノが好きで合唱の伴奏をやったり、
部活は憧れの演劇部に入ったり(途中で飽きてきてサボりまくってたけど…
何より、家から中学が徒歩5分くらいの近い距離なのも素晴らしかった!

なんて1年過ごしてたら、家の都合で、名古屋市某区②へお引越し。
(ちなみにこの家には結婚前まで住むことになります)
この中学がね、いわゆる不良と呼ばれる子達がまぁまぁいて、
スカートめちゃ短かったり、髪染めてたり、…
転校初日に家帰って「前の中学戻りたい」ってめっちゃ泣いた記憶ある。
(面白いことに、前の中学の友達としばらく手紙のやり取りしてたんだけど、
その中学に不良的な子が転校してきたのをきっかけにまぁまぁ荒れたらしく、
転校しなくてもそんな状況で過ごすことになってたなと。)
でもこの経験のおかげで、髪染めてる・服装が乱れてる=不良=怖いっていう、
私の中にあった固定概念が壊されました
よくよく考えたらなんで校則でダメってなってるんだ?って思えるくらいに。

さて、中学までは公立だったので、中3になると初めての受験。
お勉強の面は公文のおかげもあって割と良い成績でした。
少し話は前後する&その1とちょっと重複するけど、特に英語は得意になって、
小学生の間に英検2級までは取れたくらい。

でもね。
当時の愛知県は公立高校に行こうと思うと、内申点というやつが非常に
大事になってきまして。
今はいわゆる偏差値によって当日点と内申点の比率が異なるようなのですが、
当時は1:1。当日でいくら頑張っても内申がよろしくなければ足を引っ張る。
そして私、まさにそのパターンでした。
自分で言うのもなんだけど、名古屋で一番の公立トップ校に行く実力はある、
けど、内申が…
副教科のやる気がなかなか起きなくてね。
思えばこの時から、興味ないことはとことんやらん子だったな。
ってなわけで、残念ながらそのトップ校には及ばず、第二志望の公立高校に通うことに。

でもこの高校に行くことになったおかげでできたことがあります。

…続きはまた。

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