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メキシコの嫌いなところ

メキシコ生活2か月目が終わる。
私はこれまでのところ、メキシコが好きだ。

でも、メキシコの好きなところが増えるにつれて、嫌いなところも見えてきた。今回は、今私の心の中で一番モヤモヤしていることを言語化するためにこのnoteを書きたい。

日本人が必ずや経験する「メキシコあるある」

¿Puedes tomar una foto conmigo? 私たちと一緒に写真を撮ってくれませんか?

メキシコシティでも、オアハカやプエブラでも、大学のマラソン大会でも、数人の日本人と一緒にいると必ず現地に住む人に声をかけられる。

最初は「スリ?」と疑ったが、彼らにスる気は全くない。ただ、純粋に写真を撮りたいのだ。

¿De dónde eres? どこ出身なの?

Somos de Japon. 日本だよ。

と、伝えると、一瞬謎の空気が生まれる。少し笑顔がひきつる。声がワントーン下がる。彼らが写真を撮りたいのは、私たちがかわいい/かっこいいからではない。アジア人だから、日本人だからではない。

韓国人と写真を撮りたいのだ。

写真を撮ってと声をかけてきた人たちは、私たちが韓国人ではないかと期待して声をかけてくる。誰も悪くない。ただ、これが「私が嫌いな日常茶飯事のルーティン」。そして私の「メキシコの嫌いなところ」。

他者の嫌いな部分が出てきたとき、自分の状況やあり方を見直すチャンスになる。どうして私は、この一連の出来事に嫌悪感を感じるのか。他の人にとっては、何にも気にならないことなのかもしれないのに。

私にとっては、市営メトロやメトロブスが突然運転休止しても、同居人が「17時に帰る」「2時間で帰る」という約束が日付を超える時間になっても、ドタキャンに遭っても、¡Bienvenidos en Mexico!(メキシコへようこそ!)の一言で片付くことなのだ。

でも、こちらの人に韓国人に間違えられることについてだけはどうしても感情が動いてしまう。

「嫌い」の感情は自分のこだわりが根源

なぜ嫌悪するのか。以下3つの理由が挙がる。

帰属意識の強さ

ここ最近、自己分析をするうえで、私は帰属意識を強く持つ傾向あるらしい。自分が所属したコミュニティやそこにいる人が愛おしくて、ついつい「内と外」を分けて考えてしまいがちになる。

それはつまり、表裏一体で誰かを排外的に見てしまいかねないことだから、高校生や大学生の間は帰属意識を持ってしまいそうになった時、必死で振り払おうとしていた。にもかかわらず、今は日本を離れてメキシコにいるからなのか、「日本人」であるという帰属意識と承認欲求が、私の思考に強く出ていることが分かった。

「長所も短所も知るべき」論

グローバリゼーションや国際関係といった「外交」について考えるなかで、私はこれまでに「ソフトパワー」の側面で二国間関係や多国間関係に関わることが多かった。

ソフトパワーとは、1980~1990年代にハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が提示した概念で、「良い理念や文化によって相手を敬服させ、魅了することによって自分の望む方向に動かす力」のことを指す。ソフトパワーの対義語に当たるのがハードパワーで、「国際政治において軍事力や経済力によって他国をその意に反して動かす力」のことだ。

日本政府のソフトパワー戦略は、2002~2003年頃、日本のポップ・カルチャーが欧米で注目させるのを皮切りに力を入れ始め、2013年には「クール・ジャパン」を掲げて政府として強化に舵を切った。現在の日本のソフトパワーは、ポップ・カルチャーが主流と言えるが、和食や伝統文化、草の根での国際交流、留学生受入れ、スポーツ交流、日本語の普及も該当する。

大学生の時に、「対日理解促進交流プログラム」のうち北米との交流深化を目指す青少年交流事業「カケハシ・プロジェクト」の派遣事業に参加した当時、日本のいいところだけ見せるなんて「ずるい」と本気で思っていた。

(カケハシ・プロジェクト派遣事業は、日本の青少年が10日間アメリカまたはカナダに渡航し、現地の人々と交流するほか、日本について発信し、現地で「知日派・親日派」を増やすことを目的としている。)

個人的には、日本人として日本を「正しく」知ってほしい、「多面的に」知ってほしい――その思いが強かった私は、上述のプログラムでアメリカ・サンフランシスコの市内観光をした際に、「日本、知っているよ!」といってYoutubeで良く知らない深夜アニメっぽい動画を現地の人から見させられた時は、落胆し、アニメが与える断片的な日本のイメージの普及効果を恨んだ。

あの時から、私の思考や感情は変わっていないのかもしれない。

韓国が羨ましい?

今回、アメリカの渡航時とは異なるのが、「韓国人に間違えられることに対する嫌悪」だ。色々考察してみたけど、韓国のことは好きだ。ただ、私は韓国に帰属意識を持っていない。でも、どうして嫌悪になるんだろう。「韓国」にモヤモヤするんだろう。

それは、「韓国のソフトパワーには敵わない、日本は負ける」と考えているからだと分かった。

・モノの日本、ヒトの韓国

韓国は2008年頃からソフトパワーに力を入れてきたようだ。(参考リンク

日本は、もっと時代を遡れば電化製品、車、そして漫画、アニメ、和食…。
全て「日本人が作ったもの」である。世界の「日本ファン」は日本人の作ったものが好きで、「日本人」のことは好きとは限らないのだ。

対する韓国は「K-popアイドル」「俳優・女優」。
もちろん当の本人たちの仕事の顔とリアルの顔が違うことはあれど、紛れもなく「人」を中心に戦略を練っているのだ。

2019年にタイにいたけれど、当時のK-Pop人気は相当なものだった。遠く離れたメキシコでも、例外ではなく大人気だ。

大学生のスマホのホーム画面、スマホの裏側、バッグには缶バッチ。毎日のように目に入ってくるし、路上でもグッズが売られている。メキシコの人たちも、韓流アイドルの大ファンなのだ。

人々の心がより動かされるのは、モノとヒト、どちらだろうか。


ソフトパワーの強さを各国で比べる必要もないし、他国の状況を気にする必要もない。とはいえ、ただただ、私の中には「このままでは日本はまずいのではないか」という焦りがあるのだ。

日本人である故に受けた恩恵と無知

今回、反省しないといけないことがある。
それは「見た目でどの国籍か当てることを他者に期待してしまった」こと。

見た目で国籍を判断できることはこの先、絶対に起こりえない。
(とはいえ、見た目だけじゃなく言語、所作、身に着けるものなどの総合的な判断で判別できることは少なからずあると思う)

私もメキシコにいるヒスパニックの人々は全員メキシコ人だと思ってしまう節がある。どの人がボリビア人で、どの人がコスタリカ人かなんて分からない。でも、メキシコシティの中にも様々な国籍の人がいることは間違いない。

日本で、瞬時に通りすがった人に確信を持って「あなたラオスの人?」と声をかけることができ、当てることができる人が何人いるだろうか。なじみのない地でそのように声をかけられる国籍を持つ人は、ごくごく少数ではないだろうか。

「日本人ですか?」と聞かれることはある意味「恩恵」だ。この恩恵をタイで受けすぎてしまい、完全にとんだ勘違いをしてしまっていたことに気づいた。

これまでは、「あなた〇〇人ですか?」と、いつも見当違いの国名を聞かされる人の立場を知ることがなかった。メキシコに来て、いかに自分がこれまで恩恵を受け、無知であったかを知ることができた。

ソフトパワーに従事してきた私の今後


結論から言うと「分からない」。

日本政府は「人的交流」「文化交流」を国防のために重要視しはじめ、推進してきた。その流れのなかで、私は大学生の時から前職まで、外交のなかでも「人的交流」「文化交流」という側面で日本のソフトパワーを推進してきた。

前職では、自分が参加した「対日理解促進交流事業」の運営側にまわった。日々の仕事を通じて、日本政府の掲げる事業の目的だから、日本の短所やデメリットをあえて伝える必要がないことはよく理解している。でも、「すべてを知ってもらいたい」という際限のない自分が持つこだわりや軸がある故に、どこかしっくりこない、常に「これでいいのか」を考えて働いていた。

メキシコに滞在して、具体的に日本のプレゼンスについて危機意識を持つことができ、このモヤモヤを言語化することができた。このモヤモヤをどのように自分の人生につなげるか、あと8か月でその方法が少しでも見えてくるといいな、と思っている。

追伸: ありがたいことに私たちの見た目や話している言葉を踏まえて「こんにちは!!!」と大声で、でも恥ずかしそうに日本語で話しかけてくる人もいる。

日本が好きだ、日本へ行きたい、行ったことがある、そう嬉しそうに話してくれる人も沢山いる。本当に有難いことなんだな、と日々噛み締めることができたのは、この経験のおかげだろう。


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