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髑髏小町に業平のみやび


花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

世紀の美女として知られた小野小町は、百人一首に採られたこの歌があまりに有名だが、しかしその生涯は謎に包まれており、後世さまざまな伝説がつくられた。一説によると、宮仕えを辞め、全国各地を行脚あんぎゃしたのち、ついには誰にも知られることなく東北の野で屍として見つかったという。生前、男性に一度もなびくことがなかったともいわれる。

鴨長明かものちょうめいの「無名抄むみょうしょう」にはこんな話がある。

東国へのいわゆる東下あずまくだりをしたさすらいの業平は陸奥の国まで足を伸ばした。ある廃屋で一夜を過ごしていると、どこからともなくこんな歌が聞こえてくる。

あきかぜの ふくにつけても あなめあなめ 
(秋風が吹くたびに目が痛たたた)

不審に思って外に出ると、そこには眼窩からススキが生えた髑髏が転がっている。土地の人に訊ねるに、これはどうやら小町のなれの果て、髑髏は他ならぬ小町だという。

そこで業平は上の句にたいして、こんな下の句を詠んだ。

をのとはいわじ すすきおいけり
(小野小町だなんて思いません。ススキがはえているだけです。やがてこの髑髏を隠してくれるでしょう)

これ以降、髑髏の泣き声は聞こえなくなったと伝わる。しかしここには業平の「みやび」がはっきりと見て取れる。みやびとは、自分と相手の立場や状況を捉えること。他者を見つめることで自己を内省すること(その逆も然り)。そうして相応で適切なふるまいをすること(これを「洗練」というのだろう)。美女だった小町は、自らの身の衰えを嘆き、哀れな最期を迎えた。それを知ってか知らずか、業平はそれを憐れんで、死者を弔うべく、また女性への最大の気遣いとして、この下の句を詠んだ。ここに業平の男前と優しさと才能が十分に発揮されている。まったくもって「みやび」な男なのだ。眉目秀麗で和歌の才に恵まれ、聞くに3,000人以上の女性と浮世を流したといわれる業平だが、それだけではなく、実に繊細な気遣いの人、人気があって当然である。

「あなたの最期は、誰にも見えないよう、ススキが隠してくれます。安心してください。」

平安中期、ほぼ同時代を生きた二人だったが、もし出会っていれば、男を拒み続けた小町はあるいは業平に身を寄せていたかもしれない。

それにしても美男美女なこと。


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