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オープンDの音色を追って 59 ~マークと(元)ツイストのメンバーのトーク~

(約6分で読めます)
 今日はGAROファンの先輩から見せていただいた某番組についてご報告します。
 Featuringマークです。

 番組は、これです。

 ホストは、元ツイストの鮫島秀樹。
 マークが音楽活動を再開して二年目くらい。まだ『時の魔法』(マークfromGARO)が出る前です。

 GAROのメンバーがゲスト出演するとしばしば起きること。
 それは、番組関係者に熱心なGAROファンがいて、番組に馳せ参じたり投書をしてきたりすることです。
 今回の番組でも、元ツイストのふとがね金太が駆けつけていました。
 いかにGAROが多方面に影響を及ぼしていたのかがわかります。

 上記の番組はインターネットラジオということで、マークの話す声に対してBGMが大きくて聴き取り辛かったです。
 ですから以下は大雑把な聞き書きです。

マーク
 松崎しげる(マツ)とトミーと一緒にミルクというバンドを作った。
 その前身のアウトバーンズが解散したと聞いて、僕も由美かおるさんのバックバンド・エンジェルスが解散しちゃって、もう一回バンドを作りたいなと思って。同じ練習場で「うまいやつがいるな」と思って。それが松崎。 
 で、電話したんですよ。「(バンド)やんない?」って。そうしたらトミーが一緒について来たのね。で、マークはリードギターだし、トミーもギターじゃないですか。二人リードギターは要らないよなって。
 マツに「(こっそり)日高くんは要らないんだけど」(って言ったけど)「こいつとはずっと一緒にやってきたからトミーと一緒じゃないと俺やんない」って言うから、しょうがないから。(マツとトミーは)ずっと仲良かったんですね。
(ミルクは)マツだけがスカウトされちゃって、それで解散。

 ミュージカル『HAIR』があって。
(『HAIR』にマーク、ボーカルと一緒に出ていた)小坂忠が、CSNYってすごいグループがいて、ボーカルとマークと俺と三人でそういうグループを作ってみないかって。でも、その話があったんだけども、何となくバラバラになっちゃって。
 小坂忠が初めてマークにCSNYを聴かせてくれた。すごくかっこ良かったので、トミーに「知ってる?」って、聴かせて、トミーもハマっちゃって。 
 その前まではずっとエレキだったんだけど、CSNYの場合はエレキも弾くし、アコースティックも弾くし。何か(自分たちも)両方やって。

 GARO結成は1969年。ウッドストックの年。
 フラワー・トラベリン・バンドがヨーロッパへ遠征に行ったんですね。そのとき、(壮行コンサートを)ホールでやってたときに、タイガースのマネージャーの中井さんが、二階の途中のとこにマイクロフォン二本立てて。(GAROの三人は)ギターで構えてて、みんなが休憩でロビーにバーッと出て来るから、そこで「行け!」って、『青い眼のジュディ』をやったの。そしたらみんながバーッと(見て)。

(テレビ)『ヤング720セブンツーオー』でも朝の生放送で『青い眼のジュディ』をやった。

 かまやつひろしさんはコーラスが好きだから、コーラスのうまい人を捜していた。で、気に入ってくれて『四つ葉のクローバー』。

GAROはバックコーラスとアコースティックギターで参加

 ミッキー・カーティスさんに言われて、オリジナル曲がないとレコード出せないからって。二週間ぐらいで作ったんですよ。『たんぽぽ』とか。それで10曲作って、絶対に良いはずだって。でも、どう評価されるかわからないから、提出する手は震えましたよ。
 ミッキーさんが感動してくれて、すぐにレコーディング。

 アルフィーとは同じ事務所だったから、彼らはけっこうGAROの曲をパクってます(笑)。たかみーなんか。

ふとがね金太
 高校時代、マウンテン、ディープパープルとかツェッペリンとかコピーするバンドが多くて。やっぱりちょっとむずかしいんですよね。その分、俺らは何か違うことやろうって言って、マウンテンをコピーしながら寮ではずっとGAROを聴いてたな。
 72年くらいに小倉市民会館で、GARO、かぐや姫、オフコース、これが700円か800円くらいでコンサートがあったんです。それで会場に入って行ったら、1,500~1,600人入るところに300人くらいしか客がいない。
『学生街…』が売れる前ですよね。で、GAROがトリだった。小原礼さんと(高橋)ユキヒロさんと、いました。
 僕がこういう性格ですから、市民会館で、勝手に楽屋口開けて、歩いて行ったら、そこにマークさんがいたんですよ。
「すいません、『暗い部屋』っていう曲に感動してるんですけど、あれはどうやってできたんですか?」っていきなり訊いたんです。そしたら「こういうバンドがあってね。『デジャ・ヴ』っていうアルバムがあってね」ってやさしく教えてくれて。「わかりました」って言って。

鮫島秀樹
『学生街』。あれはすぎやまこういちさんですよね。

マーク
 タイガースの流れなんですよね。中井さんの。グループサウンズがなくなったんで、そのイメージを多分求めたんですよね。

鮫島
 それまでオリジナルだったけど、他人ひとの曲をやれって言われて?

マーク
 一枚目もそんなに売れたわけじゃないし、「やっぱり君たちはプロに任せないとダメだよ」って言われて。歌いたくないって思いましたもんね。

ふとがね金太
 
ファンとしては、あんな完成されたファーストアルバム。それでシングルになると、『学生街』もそうですけど、(GAROフリークの同級生と)なんで? おかしいよな。って言ってたんですよね。

マーク
 そういう声は特に男性陣から多かったみたいですね。けっこう意志が弱かったから、やっぱり大先生(の曲だし)……。
(『学生街』が当たってからは、既成曲を)もう作られて、「これ歌え」「これ歌え」「これ歌え」って。
 最初、『学生街』は、二枚目の(アルバムの)中で、いちばん……ごめんなさい、歌いたくないタイプの曲だったんですよ。三人で押しつけ合って。トミー歌えよ。俺、ヤだよ。俺もヤだよ歌いたくないよ。じゃ、ボーカル? ……俺、歌うよ。

さすがギタリスト、手が大きいマーク

 聞き書きは以上です。
 ボーカルによると『学生街』は「ミッキーさんから『この曲はボーカルに歌ってもらうから』と最初から言われていた。けれど、すぎやま先生はトミーに、と思っていたらしい」とのことです。
 そしてすぎやまこういちにとっては「まるで気合の入っていない曲」。
 音楽好きのメンバーに「歌いたくない」とまで言わしめる作品が大当たりになるとは。
 負のエネルギーが反転してプラスになったのでしょうか。

 大ヒットが出たあと「これ歌え」「これ歌え」と御仕着せになっているのが、想像通りではありますが、残酷だと思いました。

(つづく)
(文中敬称略)

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