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教員が適応障害になり学校に行けなくなった話① 私の描いた目標はただの妄想だった

学校の思い出、先生との思い出

みなさんは、子どものころの思い出はありますか。

その中に
「先生との思い出」は、ありますか。

私はびっくりしたんです。

ああ結構多くの人は
先生のことってあまり覚えていないんだ

と。



そして
学校の先生になりたいと思う人は
とてもよく覚えているんだな
よくも悪くも

と。


私の例に漏れず
そのタイプだったようでした。

「特別支援が必要な子どもとそうではない子どもの橋渡しがしたい」


教員採用試験で志望動機を聞かれて
こう答えた私。

(今となっては、特別支援が必要ではない子どもなんて果たしているのだろうか…とか特別支援と括る必要はあるのだろうか…とか思うことはたくさんあるけれど、そのときの私はこういう気持ちでした。)


私の弟は、自閉症でした。


私が小学生だったころは
やっと小学校に特別支援学級が創設される
そんな時期でした。

だから、子どもたちはもちろん先生たちも
障害のこと、自閉症のことをよくわからず
そこに苦しい思いをしました。


先生、
「あなたがやったの?」って聞いたら

弟は
「やったの。」って言っちゃうよ。
エコラリアって言うんだよ…。


先生、
弟はずっと叫んでいるけど
決して何もできないわけでは
ないんだよ…


先生たちもよくわからないから
友達も勘違いした関わり方をする

もっと知ってもらえたら…



そうか、私が伝えていけば良いのか



そんなことで小学校教員を目指し
教員採用試験でこう発言をしたのでした。

「特別支援が必要な子どもとそうではない子どもの橋渡しがしたい」

採用試験合格してしたことは

教員採用試験に合格して初めてしたこと

それは
どんなクラスにしようかとノートいっぱいに
「目標」を書くことでした。

夢いっぱいの
キラキラワクワクに溢れた
甘酸っぱく優しい「目標」。


だけどそれはきっと
「目標」ではなく「妄想」
だったのだと思います。


○○先生がやっていたように
○○先生がやらなかったように
あのときのことは反面教師に
教育実習のときもみたことあるから…


私のスキルは
見合っていることなのか

大学卒業したての私。

それが自分にできることかわからないのに
目一杯「妄想」を立てていました。

うっかり描けてしまう目標のような妄想

一般企業に就職するよりも
教員は理想を描きやすいと思うのです。


自分自身が経験をしてきたから

でもそれは
あくまでも「子どもとしての自分」が
経験したことであって

「教員としての自分」はまだ何も
経験していないんですよね。


それでも、教員の仕事内容が
中途半端によくわかってしまうゆえに

「こんなことがしたい」
「あんなことがしたい」

が具体的に書けてしまったのです。



だけど、
それが自分に見合ったものなのか
という視点は、私は完全に抜け落ちていました。

理想を、妄想を描くのに
ワクワクして

数年越しの思いが叶う
喜びばかり全面にきて。




妄想する、理想を描く

はダメでも悪でもなく
むしろ理想がなければ
現実は描けないと思います。



だけど

それは妄想だ
私は理想を描いている

とわかった上で描いているか

ここは大きな分かれ目になる
と思っています。



私の描いたものは目標ではなかった
それをわかっていなかった


わかっていたら……
もう少しやりようがあったのかもな
なんて、あのときの自分を思い出し
胸がちくっとします。

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