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教員が適応障害になり学校に行けなくなった話③見た目にばかり気を取られた私

何も分からず
分からないことも分からず。

だけどわかったことは

定時なんて無い
定時に帰っていては終わらない


ということでした。

先輩はやってくれていた でも

先輩方は私の机上に
「新年度やることリスト」
を置いてくれていました。

でも私はそれを
どのタイミングでやれば良いことなのか
ちっともよく分からなかったのです。

先輩方が会議の合間を縫って
必死に作業をしている様子を見て

あ、私もやらなきゃ
あ、これはこの作業のことか

と理解して
17時以降に始めていたのでした。

作業以外にも
事務作業や
初任者研修にも時間を取られ

どう進めたら良いか分からずに
何度も事務室へ足を運び
何度も提出書類を修正し

初任者研修のレポートは
何を書いたら良いかよく分からず
それっぽいこともそれらしく書けず
A41枚にまとめるだけに
1時間近く費やしたのでした。

優先順位がわからない

時間は有限です。

でもその有限な時間の前に
無限に降ってくる仕事がありました。

そのひとつひとつの仕事に対して

どこは手を抜いてよくて
どこは気を抜いてよくて
どこはこだわる必要があるか


よく分からず

どれもこれも
それなりにやってみて失敗し
何度もやり直しているうちに

あっという間に夜になっていたのでした。

思い描いていた生活ではなく

新生活にワクワクして
引っ越したんです。

新築のマンション

学生のときよりも少し広い部屋

独立した洗面台
少し広いキッチン

どれにもワクワクしていました。


私は、料理が好きでした。

自炊したいと思い
調理器具一式揃え
何を作ろうかどのレシピにしようか

ワクワクしながら
3月末 スーパーに行って
一週間分の食材を買いました。

4月。

ちっとも
料理なんてできませんでした。

家には寝て帰るだけ
寝て帰って朝シャワーを浴びて
化粧もそこそこに
家から飛び出て走ってバス停に行く…。

部屋は散らかり放題
キッチンは逆に綺麗で
洗えていないコップばかり増えました。

あれ?
こんな生活するはずだったんだっけ。


そう思いながら
使いきれなかった食材を
ただただ眺めながら寝るのでした。

私は子どもたちに何を語る?

そんな生活を続けて
なんとか子どもを迎える準備は
終わった気がしていました。

気づいたら次の日始業式。

終わった、と思う。

ロッカーの番号も貼った
靴箱も綺麗にした
教室も掃除し直して
机も整頓した
教室備品も持っていったし
学年通信も学級通信も書いた
名簿類も準備した

でも

あれ?初日、
子どもたちとどうやって過ごすの?
何を最初に話すの?
自己紹介ってどうするの?
何をしなきゃいけないの?
1日どんな流れなの?

少しもそんなことを
準備していない私がいました。


先輩方は慣れていたのでしょう。

褒めてあげたら大丈夫だよ
先生は許せないと思うことは伝えてあげてね
大丈夫、始業式は忙しくてあっという間だよ


聞いても聞いても
こんな回答ばかりだったのでした。


わかる。
そうなのかもしれない。

だけど私は
どんなことが初日に訪れるのか分からないから
ちっとも大丈夫じゃなかったのです。

教室環境を整えることも
名簿を作ることも
靴箱をきれいにすることも

大事だったと思います。

無いと困るものってたくさんありますから


だけど
その、「見た目」にばかり気を取られて
それにばかり時間を費やした結果

子どもたちとどう過ごすか
出会いの場面で何を語るか
どんな自己紹介をするか
どういうルールを作るか…

そういった
「中身」の時間が少しも取れませんでした。



こういうことが私はしばらく続きます。

見た目にばかり気を取られて
私にとって本質的なことに時間を割けない


そんな自分が変わっていくのも
すごくすごく先の話でした。

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