教員が適応障害になり学校に行けなくなった話② 初任者の私は、黙ることしかできなかった
教員の繁忙期は4月
教員が1年間で最も忙しい時期は間違いなく、
4月1日から始業式までの数日間です。
新しい学年・クラスを迎え
良いスタートをきれるように
するための準備を
何度も行う会議の合間に
クリアしていかなければなりません。
ベテランの先生や何度も同じ学年をやっている先生でも
なかなか定時で帰ることは難しい
そんな教員としての繁忙期。
先生たちは必死です
そんな風に考えていると
どんな先生たちでも
一息つく暇もなければ
誰かとペースを合わせる余裕もありません。
そうやってみんな
やっている。
時間も 仕事も
どんどん進んでいく。
何もわからない初任者は
何をしたら良い?
先輩の先生たちは何も悪くないけど
限られた時間の中で
効率的に進めたいと思ったら
効率的に進められる人と話をし
どんどん進めていって
決まったことを周知していきますよね。
そして初任者の先生には
サクッと決められそうなことを
サクッと決めてもらいながら
どんどん進めたいですよね。
でも少なくとも私は
“サクッと決められること”も
サクッと決められませんでした。
先生たちが会議で話していることは
呪文のようでちんぷんかんぷん
私に分かることは
○年○組の担任であること
あとどうやらクラブ活動担当
(そもそも担当って…何をするんだ……???)
そんな先が見えない状態
聞けませんでした
何をしたら良いですか?
って。
聞けばよかったんです
これはどういう意味ですか?
皆さんはどうされていますか?
私にできることありますか?
って。
みんながどんどん
話を進めていく中で
仕事を進めていく中で
私には
できそうなことも
割り込む隙間も
見つけられなくて。
できたことは
何も入っていない引き出しを
開けたり閉めたり、
呪文みたいな会議資料
もう一回読んで
呪文解読したり。
そしてみんながやっていることを
10歩、いや30歩遅れてついて行って
「終わらない」
「わからない」
「終わらない」
と心の中でつぶやくだけだったのでした。
私は何も「もっていなかった」
教員採用試験の合格発表は10月。
教員として赴任するのは4月。
私はその大切な半年間
「目標」のような「妄想」を描いていました。
目標だと思っていたけど
いろんなこと【妄想】だったから
・どうしてこれがやりたくて
・どうしてこれが必要で
・どんな意図があって
そんな言語化はひとつもできていませんでした。
もし夢の言語化がひとつでもできていたら
教材を選ぶ基準、が私の中にできていたかもしれません。
それが正しくなかったとしても、先輩の先生方と「話せた」かもしれません。
話せることで少し自分に自信がもて、わからないことを遠慮せずに聞けたかもしれません
私は、
「思ったよりも何もできない自分」
がこの場にいることが苦しくてたまりませんでした
だから私は
少しでも迷惑をかけまいと
このとき一番やってはいけないであろう
黙る
という選択をしてしまったのでした。
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