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ためらう気持ちも受け止めて

「行ってしまえば楽しいよ」

そう無責任に人は言う。そりゃ行ったら楽しいのかなって頭ではわかるよ。でも「行ってしまえば」のハードルが高いんだって。行った後のことよりも、今ここで踏み出すことに勇気がいるんだよ。


先日、仕事でアスレチックのイベントを開催した。そこへ初めて参加した子どもがいた。その子はお母さんから離れることが嫌で、やっぱり行かない、お母さんといる、と泣いちゃってた。

自己紹介をしたり、アスレチックの楽しさを伝えて、少し気持ちが落ち着いてきた。「行っちゃえば楽しいよ、きっと」とわたしは言った。「そうですよね、行ってしまえばね」とお母さんからも返ってきた。


ふと後から思う。
その子の「行きたくない」気持ちに、わたしは寄り添っていたのだろうか。

「行ってしまえば」に続く「楽しい」は、行ったことがある人にしかわからない。行ってないから楽しいかどうかわからない。だからためらってる。
なのに「行ってしまえば楽しい」って無責任すぎないか。その子の「今」のためらいを無視しているように思えた。

出発直前「行ってみる?」と聞くと「うん」と答えた。たぶん、すっごく行きたいと思っているわけではない。でも、行った後をその子なりに想像して「行ってみたい」が少しだけ勝ったのだろう。ぐっと顔に力を入れて、じっと前を見つめてた。その子の涙は、止まってた。

一歩踏み出してほしい、チャレンジしてほしい。大人は子どもに対してそう願う。

一歩踏み出すことで、新しい世界が見える。子どもより少し長生きしてる大人は、踏み出した後の成功体験を少なからずもってる。だから踏み出すことを善として、やってみようと促す。

でも、踏み出すかどうかは子どもが決めること。「今は行きたくない」というその子のためらいを無視して、「行ってしまえば楽しい」と大人の成功体験を押し付けない。ためらいもその子の感情として尊重する。

ためらう気持ちも尊重してもらえるとわかれば、いつだって子どもは自分の意思で物事を選択できる。


もちろん背中を押すことで一歩踏み出せる子もいる。「今は行きたくない」に対して、すぐに「わかった」と受け入れることがいいことだとも思わない。

ためらう気持ちを尊重する。同時に一歩踏み出してほしいという願いも持つ。
チャレンジすると楽しいこといっぱいあるよ、一緒にやろうよと伝えて、子どもがいつでも安心して踏み出せる環境を整えていたい。



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