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プラスを共有し合う

一つひとつこだわって選んだであろう家具や雑貨、整えられた部屋、食欲をそそる料理、美味しそうに見せる食器。観葉植物の緑や、花瓶に生けられた花たちが、部屋をパッと明るくする。


最近、暮らし系のyoutubeをよく見る。見てて何が楽しいの?と聞かれると難しいが、なぜかぼーっと見てしまう。

そこに出ている人たちは、だいたい顔を隠している。個人を特定されたくない、副業が禁止されてる、より暮らしに視点があたるように…などなどいろんな理由があるのだろう。私だってもし動画を出すとしたら顔は伏せたいし。

でも勝手ながら、もういっこ理由があるのかなと思った。

「丁寧な暮らし」なるものが、リアルの世界では腫れもの扱いになってるのでは、ということ。顔を出して、私は丁寧な暮らしをしてるんだ!とは発信しにくいというか。
腫れ物は言葉が強すぎるかな。難しいな。

テスト当日、「全然勉強してないよ~~」「私も!やばいよね」という会話に「私はめっちゃ勉強してきた、絶対いい点とれる」と言ったら「空気読めないヤツ」とたぶん思われる。そう思われるだろうとわかったら、たとえ勉強したとしても「私もやってないよ~~」と言うのだろう。

ふりかえると、いろいろな場面で「できない」「やってない」「うまくいってない」ことで同調が起きることが多かったように思う。そういう会話の中では成功体験は必要とされてない。「空気読めないヤツ」になってしまうから。うまくいってないように振る舞う。

顔を出さずにyoutubeで発信してる人たちも、リアル世界では、丁寧な暮らしをしてるよ、こんなにインテリアに凝ってるよ、こんなおいしそうに料理が作れてね…と話しにくいのかもしれない。何となく冷めたまなざしを感じてしまいそうだから。
あまりにキラキラしたものに対して、冷めた気持ちになることもまた、わからなくはないのだけど。


うまくいってないことを共有し合えるのもよし。でも、うまくいっていることも共有し合えるともっといい。

悪い方にずるずると落ちていくのではなく、良い方にくるくると上がっていけるような、そんな関係を、身近な人とは築きたい。


とても久しぶりに「ふと」から書き始めたら、ごっちゃりした文章になってしまった。私は何が言いたかったんだろう。

でも、はっきりとした結論が出なくても、ゆらぎが残っていることもまた、次に考える種になると思って、よしとする。




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