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「知らないこと」への欲

「広く浅く」と「狭く深く」を比べると、「狭く深く」の方が何となくいいイメージをもたれているような気がする。広く浅い人間関係よりも、狭く深い人間関係の方がいい。広く浅い興味よりも、狭く深い興味の方が価値がある、と。

本当にそうなのだろうか。

確かに「広く浅く」はつまみ食いのような、いいとこどりをしてるようやイメージはある。人や物事の深い部分、本質まではたどり着いていない、表面だけさわっているような感じ。

私もどちらかというと「狭く深く」を好んでいた。特定の人と関係を深めていくことが好きだし、新しいものよりも一度好きになったものを買うし、一度気に入ったお店に何度でも通う。これがいいと思っていたし、この価値観を否定するつもりじゃない。

「広く浅く」と「狭く深く」は対極じゃなく、順番なんじゃないか。

まずは広く浅く、表面だけでもいいからいろいろさわってみる。あ、好きだな、おもしろいな、もっと知りたいな、やってみたいな、と思うのか。はたまた、もういいやと思うのか。それはさわってみないとわからない。

もっと、と感じたことに対しては、少し深さを追求してみる。調べてみるもいいし、もう一回さわってみるでもいい。ぐぐぐっと、自然と興味が掘り下がっていく感じがするなら、それが「狭く深く」という状態なのかもしれない。

気に入ったものをくりかえし食べるでもいい。気に入ったアニメをくりかえし見るでもいい。でも「狭く深くが好きだから」と新しいものにさわってみる機会を失うのは、もったいないんじゃないかと思った。


広げつつ、狭める。広げつつ、狭める。

まだやったことないこと、食べたことがないもの、見たことがないもの、話したことがない人、数えきれないほど世の中にたくさんある。自分が知っていることよりも、知らないことを意識的に選び取っていく過程で、新しい「好き」や「興味」に出会えるかもしれない。その中で、さらに深めたいことに出会えたら最高だ。

「知らないこと」への欲をもちたい。


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