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受け取れなかった言葉

時の流れで色褪せるものもあれば、色づくものもある。


おうち時間が長くなり、部屋の居心地の良さを求めるようになった。家具の配置を変えたり、好きなデザインの雑貨を置いたりと、しっくりくる空間を目指している。特に最近は目につかない場所の片づけにも勤しんでいる。

クローゼット。…というより押し入れか。上は洋服類、下は行き場のない物が詰め込まれている。手前の物を出すと軽く雪崩が起きた。ああやっぱり。いったん外に出して整理しよう。よいしょ、よいしょ。やっとこさ一番奥の箱が出てきた。ここには確か、書類や写真が入ってたはず。

ビンゴ。やはり写真だった。アルバムに入れてあったりなかったりと整理されてない。そもそも写真を現像する習慣がなくなり、この箱はずいぶんご無沙汰だった。もちろん…見返してしまうよね。片付け進まないよと誰かの声が聞こえた気がしたがまあいいか。とりあえず上から順に開いてみよう。

何冊かあるうち「やまだせんせい」と書かれた手作りのアルバムがあった。幼稚園の先生時代、受け持ったクラスが卒園する際にもらったものだ。子どもたち一人ひとりの写真とメッセージがファイルされている。

もうずいぶん昔のことになる。

それでも写真を見ると子どもの名前がすっと浮かび、自分でも驚いた。

「せんせいありがとう」
「だいすきだよ」
「ようちえんたのしかったよ」

笑顔とともにあたたかいメッセージが並ぶ。

それを目にしたとき、嬉しさでも懐かしさでもなく、きゅっと息苦しい気持ちが押し寄せた。

初めての担任、初めての年長クラス。
担任になることが決まったときは、緊張よりも楽しみが上回っていた。

子どもたちと関係を築き一緒にクラスをつくっていくやりがい、喜び。それは担任にならないと決して味わえない。いい先生になれるようがんばろうと、希望とほどよい緊張感でスタートした新学期。

楽しみや学びを大切にしたい。今この瞬間の姿をきちんと見つめたい。自信をつけて小学校へ行けるようにしてあげたい。想いや願いはどんどん膨らんだ。経験不足は一生懸命さで補おうとした。朝7時半から20時ごろまで園にいる生活が続いた。夜や週末は家でできる仕事をした。毎日子どもたちのことを考えた。

でも、少しずつ無理が生じてきた。

1クラスの人数が他の園に比べそもそも多かった。加えて個別の配慮が必要な子や、外国から来て日本語がわからない子もいた。本来は加配の先生がいてもおかしくないのに、当時は学年に1人フリーの先生がいただけだった。私のクラスにずっといてもらうことはできなかった。

今ならばこの体制に疑問を感じるが、当時はそれを訴える選択肢は浮かばなかった。ましてやすぐどうこうできる問題でもなかった。とにかく子どもは毎日やってくる。卒園まで無事に過ごさないといけない。

そう、気づけば「無事に過ごす」という頭になっていた。いや、「無事に過ごす」すら高いハードルになっていた。

毎日ケンカはあちこちで起きた。「先生○○くんが泣いてる!」そのたびため息が心の中に漏れる。話を聞いてその場をとりなし、いったんは仲直り。ほっとして場を離れるとすぐに同じようなケンカが起きる。その繰り返しだった。根本的な解決ができていなかったのだろう。

ケンカやトラブルがなかったり「先生見て!」「こっちにも来て!」と主張が強くない子たちに関わることが後回しになった。どこで何の遊びをしてたっけと思い出せない日もあった。保護者との面談時期が近いときだけ意識を向けている自分を、心の中で毒づいた。

1年を通して行事も多かった。運動会、ハロウィン、クリスマス、学芸会、音楽会。1つ終わるとすぐ次がやってきた。本来なら楽しいはずの行事。でも頭の中は「これを作らせなきゃ」「うまくできるようにしなきゃ」と焦りばかりだった。記憶の中にある子どもたちの顔は笑ってなかった。

あっというまに3月になった。

卒園式の練習が連日続く。長時間じっとすることが苦手な子の落ち着かなさが目立った。「年長として育ってない」という指摘が刺さる。わかってる、わかってるよ。プレッシャーが子どもたちの顔をいよいよ見えなくさせた。みんな、どんな顔をしていたんだろうか。少なくとも私が笑ってないことは確かだった。

子どもたちのいいところがわからない。

そう悶々と頭を抱えていたある日。帰りの会で読み聞かせる絵本を選んでいたときだった。卒園へ向けたもの、小学校へ向けたものなど、年齢や季節に合わせた内容を選んでいた中で、ふとある絵本を手に取った。

『だるまさん』

対象年齢としては0〜3歳くらい。つまり5歳児にとっては幼い内容だ。だるまさんが転んだり、笑ったり、変な顔をしたりするだけのお話。ページ数も少なくすぐ終わってしまう。でも今日はこれを読みたいと強く思った。くすっと笑えて、ほっとして。私はこの絵本が大好きだった。今思えば子どもたちのためじゃなく、自分のために選んだのかもしれない。

「だるまさん。はじまりはじまり」

読み聞かせのときはしんとなる。みんな真剣な顔、わくわくした顔でこちらを見ている。1ページずつ、ゆっくり、丁寧に。オチのある箇所に行く前は、うまく間を取って。ときどき、子どもたちの顔に目をやった。

みんな、笑ってた。
本当に楽しそうに、笑ってた。

その笑顔を見たとき、大切なことを思い出させてもらったような気がした。

友達と、みんなと、一緒に笑い合える瞬間。こういう瞬間を、私はいったいどれだけつくれたのだろう。一人焦って、自分のできなさを責めて。怖い顔で、不安な顔で、焦った顔で、この子たちに接してた。それが鏡に映ったかのように、この子たちの様子にも表れて。落ち着かなさを生んでいたのは、まぎれもなく私だった。

卒園式当日。
子どもたちは「無事に」巣立っていった。

「先生ありがとう」の言葉をもらうたび、結果を出してないのに賞を受け取った気持ちになった。嬉しいとも、寂しいとも、安心とも違った。胸がぎゅうと締め付けられた。力のなさを呪った。

何もしてあげられなかった。
私は、いい先生になれなかった。

時を経てもなお、あのときの気持ちはあのときのまま、胸を締め付ける形で呼び起こされた。この子たちはどんどん成長しているのに、私だけが過去に残されたまま。消化できない記憶として、自分の中にずっと残り続けていた。

「せんせいありがとう」
「だいすきだよ」
「ようちえんたのしかったよ」

この言葉を見るたびずっと苦しかった。ずっと受け取ってこなかった。そんなことないよと謙遜して、無理にそんなこと言わせちゃってごめんねと、受け取ることを拒否し続けていた。

でもふと思った。

この言葉をいつまでも受け取らないのは、この子たちを、この子たちと過ごした一年間を、否定してることになるんじゃないだろうか。この先もずっとそれでいいのだろうか。

もう一度、一人ひとりの表情とメッセージを見てみた。



あの子たちの言葉は、全部本物だった。

幼稚園を楽しいと思った瞬間も、私のことを大好きと思ってくれた瞬間も、ありがとうと思ってくれた瞬間も、どんなに一瞬だったとしてもきっとあったんだ。

私はどうか。
本当に後悔だけだったのか。

違う。今も笑った顔や泣いた顔、ちょっと怒った顔や一生懸命な顔を思い出せるくらい、みんなのことが大好きだった。全力でどろけいしたり、お弁当を食べたり、歌を歌ったり、『だるまさん』を読んだときのように一緒に笑って楽しかった瞬間も、日常に溶けこんでいただけでたくさんあった。

この言葉は、あの子たちからの精一杯の贈り物だったんだ。

本当は届いていたのに封も開けずにしまい込んで、届いてないふりをしていた。受け取る勇気がなかったんだ。後悔の中にいたほうが楽だったんだ。でもそれじゃ前に進めないってわかったから。今、ちゃんと受け取ったよ。

胸を締め付ける想いが消えるわけじゃない。悔やむ気持ちも忘れてはいけない。でも過去に残り続けるのはもうやめよう。

この贈り物があれば、苦い記憶は前へと進むエネルギーに変えていける。変えていくことが、あの子たちへの恩返しになる。

そう思えたら、アルバムは前よりも少しだけ色鮮やかに私の目に映った。



ああクローゼットの片づけ、全然進んでないや。
やっぱりねとまた誰かの声が聞こえた気がした。

でもいいんだ。
もっと大切なものを整理できたから。




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