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おうち時間はセルフケア|お客様と同じように自分をもてなす

「明日彼氏が来るからめちゃくちゃ掃除したのにドタキャンされた。彼氏来ないなら慌てて片付ける必要なかったのに」と怒りの投稿を書き殴っている若い女性のポストがSNSで流れてきた。全く知らない女性なのに、慌てて掃除機をかけ水回りを超特急で掃除したであろうワンルームで、1人悪態をついている彼女のリアルな光景がありあり浮かんだ。なるほど、忙しい中で慌てて準備したのに腹の立つ話だろう。人を招くから部屋をきれいにする。よくある話だと思う。誰もが身に覚えのある感覚であり、人間らしい感情だと思う。もちろん私自身も、他人に見せるから整えるという時はたびたびある。

でも、本当にそれって真実だろうか?


自分は丁重にもてなさないの?

「お客様だから丁重にもてなす」
部屋を片付ける背景にはそうしたマインドがあると思う。では自分自身はどうだろうか?自分は汚い部屋でもいいのだろうか。自分は丁重にもてなさなくていいのだろうか。きれいな部屋で過ごすべき人物は彼氏、というよりも誰よりも自分自身なのではないか?彼氏の前に自分自身こそ丁重にもてなした方がいいのではないか。

私たちはついつい他人を優先してしまう。好きな人を、大切な家族を、学校では学校のルールを、会社に行けば会社のムードを。自分がこうしたい、自分はこうありたいよりも様々な他者を尊重して生きている。それはそれで素晴らしいことだし、大切なことだけれど、自分自身だって尊重されるべきである。

来客用という言葉

その昔、「来客用」という食器のジャンルがあった。家庭にある食器の中で「来客用」は高級で美しいものを、自分の家庭でデイリーに使う食器はそうではないものをというような慣習である。お客様に良いものをという精神は美しいが、これってつまり自分(や家族)より来客の方を大切にする行為ということになる。私はそれになんだか違和感があった。自分だってお客様用の繊細な食器使いたいよ、と。お客様も大切、それと同じくらい自分も大切。

こんなポストを書いた。

https://x.com/yukiko130/status/1786355800283513254

自分の好きなインテリアを工夫して選ぶこと、マグカップ一つでもいいから自分のこだわりで食器を使うこと、これは全て自分を大切にするセルフケアであると思っている。掃除をすることもそう、片付けることもそう。清潔で快適な空間を自分に提供してあげること。自分が美味しい幸せだと思う食事の時間をとることもそう。自分は大切に扱われるに相応しい人間なのだと自分を丁重にもてなす、お客様と同じように。

おうち時間は人生の基盤

もちろん、疲れて帰ってバタンキューの時もあるし、狭い部屋や少ない予算でお家を整えるなんて夢のまた夢という人も多いと思う。そもそも汚いままでダラダラできるのもおうちの醍醐味。私だってそういう時はある(むしろ適度に訪れるそんな時間はおうち時間の醍醐味)。様々な理由で家の中では安らげない人もいると思う。

セルフケアの方法は一つではない。家が癒しでなくても他で自分を満たせていたらいいし、人によって自分を大切にする方法はいろいろだと思う。ただ、外(会社や学校やその他諸々しがらみのある場所)では自分らしい選択をしにくい場合も多いし、家で過ごす時間というのは衣食住、人生の基盤でもある。人生の基盤を今の自分なりに(誰かと比べてではなくあくまで今の自分のできる範囲で)整えることは自分の力になるはずだ。

私だって何もかもできているわけじゃない。ぐちゃぐちゃの部屋でポテトチップかぶりついている時もある。それはそれでいい。でも毎日毎日「これでいいや」「仕方ない」「どうでもいい」空間や時間を続けていたら少し立ち止まってもいいのではないか。好きな人、大切な人と同じように、他ならぬ自分のために部屋を整え、自分のためにものを選び、自分を大切に扱う。

私がおうち時間を好きだと、大切だと感じているのは、ほかならぬ自分自身をケアするためなのです。


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