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茶道のお稽古に通い始めて3ヶ月、気づいたこと感じたこと

「茶道をはじめてみて、実際どうですか?」

先日インスタで質問箱を募集したらお茶のお稽古に通っていることに関して質問をいただきました。「ゆきこさんのお茶活気になってます」とコメント寄せてくださった方もいて、「お茶活って言葉、なんかファンシーでいいな」とふふっと笑みがこぼれました。

それではざっくばらんに茶道をはじめてみて感じたこと書いてみたいと思います。


①マインドフルネス的充足感を得られる

1月に始めたお稽古、ほぼ寒い日ばかりで雪が降りそうに凍える日やしとしと雨降る日もあり、「この寒空の中行くの億劫だな、家にこもっていたい」と思うこともありました。それでもお稽古に行くと目の前のことに集中し、終わる頃には不思議な充足感。胸がほかほかと温かくなるような、それでいて心が落ち着いて浮ついたところのないどっしり構えた気持ちになるような、そんな充実感にあふれていました。

これはまさにマインドフルネスというものでは!?

情報に溢れ忙しい日々を送っていると、心配事やイライラで終始頭に血が上った(言い過ぎ)もとい、ストレスフルになりがちな私たち現代人。マインドフルネスは、メディテーションに代表されるような「今ここ」に集中するトレーニングを行うことで雑念が消え、ストレスが軽減されメンタルケアに効果があると言われています。

2〜3時間お茶のお稽古に集中することで、SNSからも普段の生活からも切り離され、静かな時間に心が落ち着き満たされるのかもしれません。

②茶室が好きになった


もともと開放感のある空間が好きです。海が好きなのも、自宅をリノベしてどかんとワンルームみたいな間取りにしたのも全ては開放感のため。ですが、茶室というものはとても狭い。そして暗い。あの狭くて薄暗い空間が不思議と落ち着く。そう感じている自分にびっくりです。うちにも茶室が欲しい。

③季節の表現が多様で楽しい

お茶を通して季節を感じることは非常に豊かで楽しいものです。
お正月だから、ひな祭りの時期だから、桜の時期だから、と手を替え品を替え繰り広げられる季節の表現。毎回新鮮で楽しく子供のように感動してしまいます。

主菓子、干菓子、茶碗、釜、お香、お軸、茶花…と畳み掛けるように一つ一つにしたためられる季節の表現。季節の表現の場が多岐にわたっており、それが積み重なることハーモニーになり、美しさに厚みが出てるのを強く感じます。まさに眼福!

これはお稽古を始める前から茶道ってテーブルコーディネートと同じでは?と薄々感じていたので予想通りではあるのですが、一つ一つのアイテムが自分にとっては馴染みのないものばかりなので新鮮味がすごい。今は始めたばかりなのでただただ楽しい気持ちです。

④成果をもとめられない大人のお稽古の良さ

何かを習うとか、部活に勤しむとか、そういった経験をほぼスルーして大人になってしまいました。そのためレッスンに通うということにちょっとしたアレルギーがあったのですが、予想を大きく裏切り「大人のお稽古っていいかも」と驚いています。

お稽古では成果を求められません。

もちろん成長は必要です。せっかく習っているのですから上達したい、もっと学びを活かしたいという精神は大切です。でも、今日必ず成功させなくてはいけないというものではない。仕事であれば成果を求められます。期待に対して答えなければいけません。でもお稽古の場はそうした場ではありません。学びは必ずしも何か社会的成功やお金を生み出すような大きな成果を成し遂げなくてはいけないというものではない。通っているからと言って誰もがその道のプロにならなくてはいけないわけではないし、必ず他人より抜きん出て上手でなくてもいい。仕事は向いていないことをしていると辛いものですが、学びはたとえ向いていなくて下手であっても、本人がそれを好きで、知的好奇心に真摯であれば続けて良い場所です。

昔の私は「下手で向いてないものにお金をかけて通い続けるなんて馬鹿みたい、もっと役に立つことをしたらいいのに」とどこか冷めた目で見ていた部分もあったように思うのですが(ひどいですね…)、全てを「何かの役に立てる」「結果に結びつける」ような思考もどこか貧しいもののように感じるようになりました。いいじゃないの、下手でもその先に何もなくても好きで楽しいならそれで十分じゃないの、と。

大人のお稽古はそうした人生に対するゆとりに気づかせてくれました。

⑤茶室というステージとうつわの関係に思いを馳せる

常々うつわというものはインテリアの一部であり、どのような空間に置かれるかが大切だということを考えていたのですが
(↓過去記事参照)

茶室の中で漆器の盆や伝統的なデザインの陶磁器の茶碗は「ここが私の持ち場だ」と言わんばかりに輝いて見えます。日本の器の技術技巧は素晴らしいけれど、やはりそのステージは現代の明るく白いマンションではなく、畳や床間といった質感、や薄暗さを備えた茶室、およびそのような和の空間なのだなとつくづく思います。空間と調度品がマッチしているからこそ、どちらも輝いて見える。

では、私が自分の洋風の家でお茶を立てるならどうか?

おそらくそれは今の家にマッチした茶道具であるべきでしょう。

例えばトム・サックスの彫刻としての茶道「ティーセレモニー」はみごとに彼自身の解釈で茶道を彼自身の世界観で表現されていました。茶道とは何かということを語れるほどまだ詳しくないのですが、あれは一つの私の理想であります。

まだ始めたばかりですが、始める前は私が踏み入れられるような世界なんだろうかと不安だったのが嘘のように毎月のお稽古楽しめています。一年後はどのように感じているのでしょうか?今から楽しみです。


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