見出し画像

年末、映画とお茶

大掃除には辿り着かないまでも、引越しの予定もあることでものの整理をした。
一人とはいえ、一年でものは増えるものだ。妻のものもほんの少しだけ捨てた。
そのほんの少しがこの一年の変化だろうか。前進や成長というにはポジティブが過ぎるだろうか。

去年は仕事で年を越した。
最悪の気分で、ひどく寒い中初めていく病院に辿り着き、妙に落ち着いた当直をした。

今年は休みをもらったので、気になっていた映画を観に行った。いつ以来だろうか。
耳の聞こえない、女性のボクサーの話。
きらきらと名前のつくようなものでなくても、言葉はなくとも、ただ陽射しと影と水辺の景色がうつくしい。
音楽はなくても、ただ人が生きる音が心地良い。
映画は前からすきだったが、ミニシアターに行くことをおしえてくれた人がいた。あの人は元気だろうか。僕のことなど覚えていないと良い。

先日数年ぶりに連絡がきて会った人がいる。
以前会っていた頃、茶道を始めようか迷っていると相談された。茶道に関する一冊の本を薦めたのは覚えている。
習いはじめて、何年経った今も続けているそうだ。
彼女に茶道は合っていると思う、と僕は言ったそうだ。嘘ではないけれど、それほど深く考えて言ったわけではなかっただろう。
その小説の題名は、毎日が良い日になるように、という意味だった。また別の僕の知るお茶の先生は、きっとその通りに生きているように思う。

妻と息子。
僕の心のどこかにおさまりつつあるのを感じる。
二人以外の人にもおしえられ動かされることがあるようだ。あたりまえに。
僕も少なからず二人以外の人に与えているものがあるらしい。本当に少なからず。

年末の街の空気が、さらに深まった。
初めて入ったスターバックスで今年最後の文章を書こうと思った。
トイレへの通路が隣のカラオケと共同で、部屋から歌が聞こえて来る。

すぐにはわからないほど音程の外れたその曲は僕のすきなものだ。
たとえばそれがこんな歌だったら
僕らは何処にいたとしてもつながっていける
そうだと良いと思った。

来年は変化があることは決まっている。
二人のことに比べれば些細な変化だ。
不安は僅か。期待はそれなりに。
来年も、生きてこの日を迎えられれば上出来だ。
お元気で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?