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僕たちは、自分を深めるために生まれてきたのかもしれない。

僕たちはスッキリした、整ったものではなく、自分の変わったところも含めて認めたときに、人間になれるのかもしれない。


人には社会生活を送るための外向きの自分と、本当はこれが自分だと感じている内側の自分を抱えた存在だと思うんです。

みんな普通に生きているように見えて、内心は葛藤し、外からは見えないコンプレックスやつらい記憶を抱えているのだと思います。


人間には、弱いところもあって、同時にたくましいところもある。
だから、人が生きている姿を見たときに、僕は愛おしく感じるのかもしれない。

僕はむかしからなぜか、人の秘密を教えてもらうことが多い。

そっとしておきたいこと、誰かれなく話せないことを、そっと教えてもらえる。その話を聞くとき、僕はジャッジすることもあまりないし、ましてや口外することもしない。


人にはあまり他に言いたくない、秘密がいくつかあるものだから。
でも、ふいに、ピンと来た人に話してみたくなるのかもしれない。

僕にも、秘密を話してしまう人がいる。

人間の中で、話したくないと思っているのに、それと同時に話せる人に話したいという想いが同時にあったりする。


また、伝えたい気持ちが心の内にはっきりとあるのに、恥ずかしくて言葉にできないということも、ときどきあるだろう。

みんなどこかに臆病なところがあるんだと感じると、相田みつおさんの「だって人間だもの」という言葉が心をよぎる。


「そうだよなぁ~。僕たちはにんげんなんだよなぁ~」

と思い、人の完璧でないところを知るとホッとする自分もいたりする。


いろいろな出会いと別れと、再会のある人生。

人生はいろいろなタイミングがあっていいし、うまくいっていなくても、それも何かに気づくプロセスだったりするのかもしれません。


いろいろ味わうと、人生が深まっていくように感じます。
挫折や心の痛み、戸惑いや歓喜、、、いろいろな感情で深まっていく。
この生きるということ。

必ずその経験から教えてもらえることがあると思います。

いろいろ感じながら、自分を深め、人生を深めていきたい。


生かされてるって、いのちがあるって、なんか尊いですね。

こうしてnoteを介してある、あなたとの出会いにも感謝です。
いつもありがとうございます✨


なんか人間賛歌みたいなnoteに仕あがりました^^




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