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【記憶の街へ#9】ボクにできることは何もなかった

(1921文字)

何年か前に、ハワイから帰国した妹と母と話していた時のこと。
「そういえばYさんどうしてるだろうね」
急に妹がそう言った。
Yというのはボクが初めて付き合った女性で、高校生の頃から21歳までの目まぐるしく環境が変わる時期を一緒に過ごした。
なぜ急にそんなことを言い出したのかと尋ねると、そこからさらに6〜7年くらい前に、帰国して母と駅前を歩いていた時に偶然会ったという。
将来は結婚するつもりでお互いの家族にも紹介していたので、もちろん母も妹もYを知っていた。久しぶりの再開にしばし言葉を交わして別れたという。
しかし、なぜ地元の埼玉県の駅で会ったのか。彼女は結婚して東京にいるはず。
「離婚して実家に帰ってきたんだって」
それであの時のことに納得がいった。

青春という言葉はあまり好きではないが、ボクが青春を過ごした女性はYということになる。
高校生の頃に場違いな場所で背伸びをして、一緒に気恥ずかしい思いをしたり、初めて手に入れた中古車で海に行ったり。
60年代のR&Bをカセットテープにまとめて、それを流しながら海岸沿いの道を走るのが二人とも好きだった。
高校を卒業すると彼女は就職し、ボクはバンドがやりたくてフリーターをしていた。
結婚するつもりで通帳を作り、少しずつ貯金もしていた。
しかし彼女の話の中に、職場の先輩の話が多くなってきた時、ボクは彼女の気持ちがその男に傾いていることに気がついた。
そしてボクから別れを切り出した。
彼女は嫌だと言ったが、ボクにはもう無理だった。
それから1ヶ月ほどして、偶然に駅で会った時、彼女がその男と付き合っていると聞いた。そのことを話す彼女はもう、ボクの知らない顔をしていた。
引き金を引いたのはボクだが、弾を込めたのは彼女。そんな別れ方だった。

それから約20年。ボクは再び彼女の名前を目にした。
当時は東日本大震災後で、Facebookが支援者たちの重要な情報交換の場だったので、ボクも利用していた。
そのアカウントに友達申請が来た。
苗字が違ったが、その女性のサイトを覗いてみると女の子の写真があり、それはYそっくりだった。
20年前に付き合っていた女性からの友達申請。
ボクはしばらく考えた。彼女は何を求めて友達申請をしてきたのか。
昔の話をして懐かしみたいのか。
だとすればボクの答えはNoだ。
別れた男女の再会には危険が孕む。彼女はそれを求めているのか。
それとも何か別の理由があるのか…。
判断がつかないまま数日そのままにしていると、フォロワーである被災地支援者から、ボクのアカウントが乗っ取られたらしいという連絡が来た。
どうやらボクのアカウントからフォロワーの方々に、ボクのメッセージの形で広告が流されたという。
それを聞いてボクは慌ててそのアカウントを削除した。
それっきりYとのわずかなつながりは途絶えた。

それから10年くらい経って、ボクは「Yが離婚して実家に帰った」という話を聞いたわけだ。
彼女がFacebookでボクに友達申請をしてきた時、おそらく彼女は離婚に向かった結婚生活を送っていたはず。
離婚の理由は分からないから、これは推測でしかないのだが、きっと彼女はボクと話したかったのだろう。そして甘えたかったのだと思う。
Facebookでたまたまボクの名前を見つけたのか、それとも検索したのか。どちらにしろ、友達申請をするには多少の勇気が要ったはず。
そう思うと、少し胸が痛んだ。
しかし、もし友達申請を受けていたらどうなっていたのか。

別れた年は記録的な冷夏だった。
彼女は海が好きだった。
その年に買った水着をどうしても着たいと言うので、ボクたちは曇り空の下、灰色に淀んだ海に行き、水着に着替えてただ海を眺めた。
あの時、ボクはすでに終わりを感じていた。
彼女と職場の男性との出会いは、そんなタイミングでやってきた。

まるで最初からシナリオができていたかのようなタイミングがある。
全てを見計らったようにその時はやってくる。
そして、いくら望んでいてもタイミングが合わなければ交わることはない。
彼女がボクに友達申請をしてきたのは、そのタイミングではなかったのだ。
そして、それで良い。
きっと彼女は、もうすでに新しい人生を歩んでいるはず。
ボクにできることは何もなかったのだと、そのタイミングが教えてくれる。
運命と言うには重すぎるし、全て決まっているというような考え方は好きではない。
だけど、タイミングによって人生が左右されるのは確かなのだと思う。

今、Yのことを思い出すことはほとんどない。
ただ、ドライブ中によく聴いた60年代のR&Bのヒット曲を耳にした時に脳裏を過ぎる。
別れた時にはとてもそうは思えなかったけど、今は幸せでいてくれれば良いと心から思う。





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