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本阿弥光悦の大宇宙展へ行った

もう終わってしまった展示ですが東京国立博物館の「特別展 本阿弥光悦の大宇宙」へ行って来ました。

いやあ、本当に素晴らしく、感心・感動いしました。

光悦にまつわる色々な事を網羅した展示会でした。正に「光悦の大宇宙」でした。

細かい解説は上記展示会のリンクでご確認いただくとして・・・

書、漆器、刀剣、茶陶はもちろん、光悦本人の事だけでなく、本阿弥家の歴史や教育方針などにも触れられていて、最高度の文化的素養を伝承する事の大変さが感じられました。ただ子孫である理由で世襲しただけでは高度な文化を後世に受け渡せるわけがないわけですから、そのあたりがちゃんとしているのですね。

それと、信仰と芸術の関わり合いなどもテーマとしてしっかり触れられておりました。

歴史を観ると文化や地域の違いを問わず「もの凄い芸術が生まれた時代は大宗教時代であった」事が多いわけですから、やはりそうなのだなあと・・・私自身は何か特定の宗教を信仰しているわけではありませんが「人間はゼロから何かを産み出す事は絶対に出来ない」という私の考え方からすると、何かしらの信仰心のようなものはあるのかも知れません。

最近は、以前は光悦作とされていたものが実際には違うのではないか?という検証もしっかり行われているらしいですが、何にしても光悦が関わったであろうものは「何をやっても創作的に一本筋が通っている感」が凄いですね。光悦の美意識ってこうなんだ、という感じが図太く通っています。光悦は多彩な表現をしますが、散漫ではない。光悦個人だけでなく、本阿弥家が持つ美意識とその家業の美意識を伝承するためのシステムも機能していたんだなあという感じです。光悦の後の世代で光悦風のものが沢山制作されましたし。光悦自身は異端、変わり者だとされていたとしても、ベースには本阿弥家の美的基礎があるように思います。

それにしても、光悦の茶盌は本当に良いですね。この展示会では、まとめて光悦茶盌を見られました。眼福眼福。華やかで軽やかで気品溢れる色気に満ちている。しかし骨格はしっかりあり茶盌としての機能もしっかりとある。様々な作風を展開しながらそれは紛れもなく光悦の個性的造形であり、創作的意図と偶然の間にあるものが華やかに結実した感じが実に創作的です。

キチンと茶盌、そして立体造形物としても極上。

それは正に「たまらぬもの」であり、言葉にならぬものです。

それにしても、あの時代に現れたキラ星のごとくの芸術家たち、武将たち、歴史的に豪華ですね。どの分野でも、もの凄い人たちはまとまって世に現れる傾向があるのでしょうか・・・


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