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鳩を笑う

子連れで出掛けると、どうしても機動力が落ちる。一人の時はすんなり通過できる横断歩道の信号に、二度も三度もひっかかってしまう。


ところが、この前外出した時、差し掛かった信号が次々青になりスイスイ渡れる、という出来事があった。たったそれだけで、なんて爽快な気分になれるのだろう。


「ごまヲが良い子だから信号が全部青になる」


幼い頃、父方の祖父の運転する車に乗せてもらうと、時々言われたものだった。子供心に「そんなはずないだろう」と思ったけれど、口には出さなかった。例え信号が赤でも、手前で減速して時間を稼げば青になる。なんの不思議もない。あるいは、ただの偶然が続くか。スペシャルな出来事を、子供という存在への祝福として感じとりたい祖父の「大人心」もあったのだろう。


「きみが良い子だから信号が全部青になる」


ベビーカーを押しながら、わたしも祖父の真似をしてそう考えてみる。


いや、そんなはずないだろう。

きみは皿や食べ物をぶん投げるし、保育園レシピのニンジンの甘辛煮(「辛」は西日本で言う「しょっぱい」の意味)は一度きりしか食べないし、食料の備蓄を荒らすし、ティッシュを全部引き出してしまうし、絵本を読んであげないと顔を真っ赤にして叫ぶし、パパとは寝てくれないし。


たまに「わたしなんかから生まれたにしては良い子だな」と思う時がある。でも毎回「やっぱり健全な考え方じゃないな」と思い直す。

「わたしから生まれたにしては悪い子だな」も成立するからだ。「わたし」なんぞが、生物学的な母親というだけで聖人君子ぶって何様のつもりか、となる。「きみが悪い子だから信号が全部赤になる」も同様で、よろしくない。


子供が良い子だろうとなかろうと、道は閉ざされる時は閉ざされるし、開ける時は開けるだろう。


大きい公園で子供を遊ばせた。鳥が好きな子供は、鳩の群れのあとを追いかけてうろうろ歩き回っていた。 一番楽しそうに笑ったのは、怪我でもしたのか、足を引きずって歩いている鳩を見た時だった。キャハハハハと声をあげて何度も笑った。歩き方が面白かったのだろう。なぜ見世物小屋というものがうまれたのか、心からちゃんと分かった気がした。あの鳩は遅かれ早かれ捕食者の餌食になってしまうのだろうか。


公園をあとにして再び大通りに出た。

横断歩道へと歩みを進めると、すぐに信号が青になった。

わたしはそそくさと渡った。鳩を笑った子供と。

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