文章にだって『旬』はある
文章にも『旬』があるんだな。
改めてそう思ってる。
昨日の夜、とっても美味しいワインレストランに行くことになっていた。
お気に入りのお店に行くので、行く前に焦りたくない。ましてや気持ちよく飲んだあとには絶対、無理。『幸福な寝落ち』ができるならそれもいいよね。
そう思っていたのでnoteは先に書いておこう、とランチブレイクに書き始めた。
350字程度、書いたところでタイムアウト。
「残りはごはんに行く前にホテルでサクッと書こうっと」
夕方ホテルに戻って、書きかけのnoteをひらく。
「?」
なんだろう。
なぜ、これを書いたのかしら?
うーん、全然しっくりこない。
数回読んでみるけど、続きが書けそうな気配がまったくない。
そうか。
もうこの話題は、わたし的に『旬』じゃなくなったんだ。
野菜とか果物だって、みずみずしさや香りが最高の「今、この瞬間」が旬なのだ。
タイミングを逃したら、そこから先は熟しすぎたり枯れたりしていくもの。
文章も同じなんだね。
そっとその文章を閉じ、新しいnoteを書いたのでした。
新しく書いたものが、ランチブレイクに書いた文章より面白いとか、上手いとかそこらへんはまったく関係ないのが残念なんだけど。
でも、少なくとも『今、この瞬間』のわたしの内側にいちばん近いことには間違いない。
面白さや楽しさが伝えられるような文章がいつも書けたらうれしい。
でも、それはなかなか難しい。
だからこそ、できるだけフレッシュで旬の『わたし』を表現できたらいいな。
そんな気持ちです。
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