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工藤雪枝の私的な知的財産権法の判断

いつも長文ばかり書いているので、今日は短文にします。

表題は知的財産権法の適用について。その前に、上の動画をご覧ください。私は松山千春様の音楽や人生のファンでもあり、たまたま、先週ぐらいでしょうか、松山千春様の1980年のNHKホールのコンサートでのライブ演奏をYou Tubeで聴いて発見した感動的なる名曲「炎」。それを聴いているうちに私の中で、自分のこれまでの仕事や私的なる独学を通した分析、書いてきた拙著や、いろいろな想いや感情が浮かんできて、上記の動画を全て自分で作成し、英語及び日本語での解説に加えて、日本語、及び英語のテロップ(字幕)までつけた訳でございます。

私において松山千春様を否定しているわけでありません。そもそも松山千春様の「炎」という素晴らしい曲がなかりせば、私のこれまでの多くの取材や、体験や研究や、諸々のことを上記の動画にて作ろうとは思いませんでしたので、まあ、松山千春様には「意匠権」的なる権利があるかもしれません。

しかしながら、上記動画をYou Tubeにアップロードすると、米国カリフォルニア州法に基づきながら、さらに日本の著作権法の二重適用により、私が1980年のNHKホールでの千春様の音楽を購入し(もちろん、如何なる著作物も購入したからといってその権利を得るわけでもないのですが、一般的に英米両国でも日本でもライブ演奏には著作権は適応されませんし、そのように日本の著作権法にても明記されています)、上記の動画を作成したわけです。

平和を願いつつ、また拙著「特攻へのレクイエム」の取材だけでも五年間以上かかった(過去の真実を探るノンフィクションにおける真実の証明責任性、及び特に御存命ではない方々に関する資料や、敗戦国、日本故に残されていない史料、同時に一つの真実であるべき遺言などが、少し文言が違い複数あったりする際の検証など考古学的正確性を担保する苦労は半端ではありません)知識や、見識、分析にて作成した動画です。

しかし、You Tubeにおいては、You Tube独自の見解ではなく、自動的にインターネットで購入した音楽や音源に関しては、著作権がかかってくるシステムになっています。おそらくDRMなどのコピーガード的デジタル情報を認識しているのだと思います。でも私の上記の動画においては1)松山千春様の曲の作曲、作詞に関する著作物と歌というライブ演奏の著作物の意味を範囲を遥かに超えると2次的著作物というより、全く別の内容になっているかもしれない状況に我が動画は作成されていること 2)それに松山千春様が(ご本人のせいではないのですが)著作権を全部の我が動画ー含む英訳や内容におかけになるのは、知的財産権法的に、どうなのか?と想うわけです。松山千春様の本来の「炎」という歌との「内容の同一性」さえもなき、千春様におかれて、ご迷惑なる可能性もあるわけです。全く違う「成果物」という風に思います。3)また私においての著作権はどうなるの?と考えると質の高い2次的著作物を超え得る、あるいは全く別の著作物として切り離されないと、レベルの高い著作物を作る意欲などなくなります。同時に松山千春様他、音楽の著作権者の作成して欲しくないものなどの場合においても、そうでなくとも、私が5年以上も取材してきた事象の「上乗せ」パートにおいては本来は知的財産権の分割が理想的ではあります。音楽をお作りになった方々におかれても、「そういう意図」とかイメージをつけられたくないというお気持ちもあるのでは?と心配になる倫理的知的財産権(英語ではモラルライツといいます)も考慮しなければなりません。4)さらに、知的財産権にては、どちらが「主従」のコンテンツであるかということ、また通常文章の引用などの場合の割合ー一般的なる出版では、世界的判例、及び法典では、引用は明確にその箇所を示し引用元の出典を示した上で、またパーセンテージは出版物の場合は1割以下か否か、また、コンテンツ内においての「主従関係」。また、アイデアの場合には、どこまでそのインスピレーションや発見、アイデアの発展に関しての影響力(プラスである法律用語で言えば「寄与度」という意味)は個別に判断されます。

そもそも、私においてYou Tube上では一切収入が発生しておりませんし、同時に、ライブ演奏には本来著作権はかかりません(この点に関しては、松山千春様の事務所のご担当者とお話しさせていただき、ライブ演奏でも日本では音源がCD化やネットのストリーミング化された場合にはライブ演奏にも著作権が発生するというご回答をいただいております。ただ、私におきまして、松山千春様の素晴らしいご演奏には本当に涙が出るほど感動しましたので、あえて録音されたCDなどではないライブ演奏の方を購入した次第です。

それは松山千春様におかれては、本来の曲と私の「成果物」がどこまで違うか、また私の作成したものがどれだけの価値があるのかにもよりますが、英訳までしているので、もしかしたら、私も大好きな曲の多い、千春様におかれて、松山千春様の1)宣伝になる可能性もある 2)しかし、アフィリエートでもなんでもない私において、上記著作物に対して千春様が全ての著作権を得るというのも、正しくない気がします。英米法、日本の著作権、知的財産権法、及びスイスに本拠地のあるWIPO的判断では、もうすでに全く別の「著作物」と判断された方が、私にとっても、また千春様の宣伝効果、即ちマーケティング的にも「Good Marketing 」もあれば「Bad Marketing」(本来私において宣伝意図はないのですが、結果的に松山千春様の当該演奏の露出を増やすことになるのみならず、そこに私の追加的著作物もかかってくると、良き宣伝か、悪しき宣伝か、ご迷惑でないか、「色がつく」というマスメディアのタレントマネージメントにおける、否定的効果になりかねないという発想も実に松山千春様におかれても重要かと思います)もあります。本来、千春様が常に曲を通して「メッセージ」を伝えるご方針の方ですから、逆に変に違ったイメージをつけられてしまう故に迷惑と思われることもありうると私においては想像いたします。

3)故に、道義的にも、また知的財産権法的にも、私が(この件に関しては今ー2020年10月13日、日本時刻17時15分の段階では金銭的報酬目的でこう書いているのではありません。しかし金銭的なる保証がなかりせば、高い見識になればなるほど、またその伝達においてのリスクが高くなるより危険でもある故に金銭的でもまた、他にも得られなければという要素が法律的にも強くなること。さらには実に公にも価値の高い分析や研究や真実を伝達する意欲が低減してしまうこと。)知的財産権法の著作権者となり、同時にそれに伴う権利だけではなく、責任や義務も(法律的、道義的)所有すべきだと各国の知的財産権法をくまなく調べてきた、そして東京大学法学部卒、同大学院法学研究、メディアの仕事が忙しくで中退しつつも法律を常に学んできたものとして、またJP MORGAN McKinsey & Co (東京オフィス、ロンドンオフィス)勤務を経てきて想うわけです。

実際に、英米法(英語で書かれたり、発表された著作物に関する)の法典、及び判例を多々研究するに、実に日本国内の知的財産権法、及びいわゆるソーシャルメディア(SNS)上の知的財産権法の適用及びプライバシーの保護において、このままでは、出版業界や情報産業など、実に日本は世界に比べて(特にEU及び、英語での知的財産、特に著作物に比して)不利な状態になっているでしょうし、今後ますますそうなるだろうということを危惧します。それは出版業界だけでなく、そもそも日本語などの市場は規模が小さいですし、昨今の医学学術論文をはじめとしての科学分野の研究論文も英語で書かれることが多い故に、文系分野、理系分野(単純な分け方ですが)両面において、日本の今後、あるいはアジア、ロシア、アフリカなどの「知的財産権法後進国」(EU,英国と比較して)にての死活問題となりうるでしょう。もう既にそうなっている感が、医学などの世界でも日本の研究者の発表論文数の少なさに加えて、他国の研究者から日本人の論文が「引用」される本数が昨今、激減していることからも明らかです。

かつても、東京大学工学部の助手であられた金子勇様が発明されたWhinnyというインターネットのブラウザーの元祖的なる発明を達成した存在が日本では金子様がその技術を利用した犯罪者(金子様ではない)が出たために金子様までもが容疑者とされ、最高裁まで(結局金子様は無罪でした)争われた裁判の七年間の間に、すっかりその技術が盗まれというか、利用されて、今のGAFAM(Mはマイクロソフト)の独占市場状態になっていることを鑑みれば、適切、かつ、世界で一貫した、今のデジタル時代のコピーアンドペーストやスクリーンショットなどが簡単に出来てしまう技術に法律やそのエンフォースメントの技術が追いついていっていない現状、及び将来を心から危惧いたします。

知的財産権法、及びプライバシーに関しての法整備はEUの主要国、また英米、特に英国(米国などは州ごとに法律が違いますから)に比して、日本の現状と未来を心から憂うという感覚を感じます。また今後ますます進展する技術に対応していない分野、具体的には音楽や多くのクラシック音楽(作曲家的には死後70年経過すると一切知的財産権はなくなる訳で、まあ、クラシック音楽業界など、作曲家が実に低く評価されているとも感じる私です)でさえDRMなどがついていて、著作権法上過剰に保護される中、ますます、書籍、執筆関係、肖像権、出版分野といったレベルでの産業としての発展の前提となる法的整備が、あまりにも日本では欠けていると感じます。それは、前述しましたように出版などだけでなく、科学分野なども同様です。

英国と米国の実際の法律や知的財産権法の適用状況を昨今、研究して、さらにそれが出版界においてどのように変遷してきたか、2003年から2020年まで出版という分野で実態を調べて、実に英国や米国など出版不況どころかアマゾン以外の書店もそれほど潰れておらず、ますます活況を呈している感があります。特にコンテンツビジネスという発想においては、日本は今の段階で、中国や韓国にも多いに遅れをとっていると強く想うが故に、この文章を書いてみました。

同時に、本来、日本のような資源もなく、また安全保障上もまあ、危険度高き場所に位置する存在においての、コンテンツ、及び、適切なる法的整備に基づいて、ソフトパワー(スイスなど実にそのソフトパワーの価値の維持で国力と豊かさとを保っている感があります)を高めていくことが不可欠です。

特にWIPOのトップに、2020年の10月1日から米国が推薦した、華僑たるシンガポールの元特許庁長官であった、Daren Tangが就任したにおいて、日本もうかうかしている場合ではないと強く思います。

サポートしていただいた場合は、さらなる分析や取材のために使わせていただきます。工藤雪枝