足で学ぶとは、まさしくこのこと。 ◆ ◆ ◆ ある平日の夜、取引先との会食に向かおうと社長とともに道路を歩いていたら、段差に気がつかないで足首をくじいてしまった。ベトナムの道路は舗装されているものの、段差やくぼみが多い。 めきっという音が体のなかで低くひびいた。激痛が全身をつらぬく。心配してくれる社長の声が遠くなっていき、視界がせまくなっていく。冷や汗が止まらない。 配車サービスで車を呼び、会食には参加をせずに家へと帰る。冷水ですぐに冷やすが、足首から足の甲にかけて
それでも、ことばにすがる人生。 ◆ ◆ ◆ 「便意が限界で今にでも出てしまいそうです」という意味のことばを英語でご存知だろうか。僕は知らないから、みなに問いかけている。 中学校、高校と英語を勉強してきて、好きな科目のひとつであった。大学でも英語の授業を受け続けた。 しかし、目の前に立ちはだかった1枚の壁により、僕はおのれのことばがいかに無力であったかを思い出す。 それでもあきらめなかったとき、人間は光るのだと知った。 ◆ ◆ ◆ 日本人の集まりに参加をして、食べ
のんべんだらりと日々を過ごす僕たち。 ◆ ◆ ◆ 僕の鼻毛はたくましい。ベトナムに来ると、空気がきたないから鼻毛がよく成長すると聞くが、その状況を差し引いても、ポテンシャルでこのたくましさを勝ち取ったのではないかと思っている。 ひまなとき、ついつい爪ではさんで鼻毛を抜いてしまうのだが、大きめなゴキブリの触覚ぐらいの長く太い毛が抜けることがあり、驚き入ってしまう。「おれ、今、髪の毛を抜いたのか」と不安になるほどにハイスペックな毛なのである。 ◆ ◆ ◆ 平日も休日も
え、幸せですけど? ◆ ◆ ◆ 33歳か34歳の、大学の先輩が入籍をした。心から「幸せになってください」と伝えた。 相手とはアプリを使って知り合ったらしい。じつはベトナムでもTinderが使える。国すら関係ないとは、便利な世のなかになったものだ。 しかし、僕は今年で30歳になるというのに、彼女が一度もできたことがない。そうなると、どうなるか。彼女という存在にだんだんと恋焦がれることがなくなる。 色褪せたバケモノの誕生である。 ◆ ◆ ◆ 同世代のみなは結
テレビゲームでは、感情的にならないことが肝要だ。 ◆ ◆ ◆ 子どものころ、テレビゲームが大好きだった。メガネをかけるほどに視力をさげた原因は、まちがないく、ゲームのやりすぎだった。 おとうさんも若いころから好きだったらしい。その影響で、僕が幼稚園生のときにはプレステが、小学生のころにはプレステ2とゲームキューブが、中学生にあがるとプレステ3とWiiがわが家にはあった。自分のこづかいでは、DSとPSPを買った。いろんなソフトを自分で買ったり、親に買ってもらったりして、
ホーチミンの街の景色はずいぶんと変わった。 ◆ ◆ ◆ ホーチミンに旅行に行くと、大学時代の先輩後輩に会える。 今回もいつもどおり、深夜までお酒を飲みかわして、おのおのの家に帰り、次の日の朝をむかえる。少しだけ頭が痛い。 僕が大学を卒業してからもう7年がたつというのに、大学時代の縁が切れることなく続いている。日本という国を離れても。 ◆ ◆ ◆ 僕がかよった大学は私立ということで学費が高かった。4年間奨学金を満額借
ありもしないことを願うのなら、それは夢物語。 ◆ ◆ ◆ 前職の上司は競馬好きであった。パチンコも好きだった。 その上司が発足した競馬会もあり、グループ会社やお客さんも多数加入していて、みんなで競馬を楽しんでいた。 競馬もパチンコもやったことがなかった僕は、ギャンブルのなにがそんなにおもしろいのだろうかと疑問に思っていた。お金が減るかもしれないというのに。 ギャンブルの塵芥にまみれていなかった純白の僕は、過去のものとなった。 ◆ ◆ ◆ ベトナムは、カジノが合
その命に名前をつける心意気。 ◆ ◆ ◆ 「羊を数える子どもたち」という曲をここ最近で知った。くしゃみ。。というアーティストが歌っている曲だ。 眠る前のふとんの上で聴きたくなるようなゆるやかな曲調が素敵だが、それ以上に僕は曲名に惹かれた。思いつきそうでなかなか思いつかない曲名ではないだろうか。 小さな体の命の安らぎや温かさがこもったタイトルだと感じた。 ◆ ◆ ◆ 新卒で入った組合は暇だった。自分で仕事をつくれなくて時間を持てあましていたのだ。 そんなとき、事務
いつも通りはその都度変わる。 ◆ ◆ ◆ ベトナムの道はきたない。 飲食店からは食器等を洗った水が道路に流れ出ていつもぬれている。自分のサンダルの底を家で見ると、真っ黒になっている。 それでも、この国のさんぽは、好きだ。日本とはちがう街並みを通ると、冒険をしているような心持ちになる。 自分のすぐ横を駆けぬけていくバイクに気をつけながら、見慣れない道を進んでいく。昼どきということで食事どころを探していると、屋台がつらなっている裏路地を見つけたので入ってみた。 目の
ずいぶんと格好の悪い話だ。 ◆ ◆ ◆ 霧雨が降るハノイの街を歩き、スマホのアクセリーが売っている店に入った。入ったといっても扉などない、カウンターだけの小さな店であった。 「パソコンでも使えるイヤホンは売っていますか」と垢抜けない若い女性店員につたないベトナム語で訊ねると、4種類をカウンターにならべてくれた。「男性向けは、イヤーピースの大きいこの2種類だ」と言われて、そのうちのひとつを選んだ。 値段を訊くと、日本円で600円程度であった。購入して帰路につく。雨はやん
似ているけれどけっこうちがう。 ◆ ◆ ◆ 「怒る」と「叱る」のちがいをひしひしと感じる毎日を送る。 僕のベトナム人女上司は、論理的な内容を感情的な手段で伝える。内容はなにもまちがえていないが、口調をあらげながら心をえぐるようなことばをもちいるさまを目の前にすると、僕はなすすべなく相づちを打つほかない。 僕は彼女を心のうちで「皮肉屋」と呼んでいるが、それは激昂したときのものいいが間接的で鋭いためだ。 どんなに学びのあることばでも、あらぶった感情に包まれてしまえばそれ
日本にはなかったんだもん。 ◆ ◆ ◆ ベトナムには女性の日が年に2回ある。3月8日の「国際婦人デー」と10月20日の「ベトナム女性の日」である。 この日は、男性が女性に花を贈ったり、食事をごちそうしたりする。弊社もご多分にもれず、男性社員が女性社員たちにお昼ご飯をごちそうする小さなパーティーが開かれた。 僕は、そもそも「国際婦人デー」の存在を知らずに、お客さんとのアポイントを入れており、パーティーには参加できなかった。参加できなかったが、お金はしっかりとられた。
え、ピンチですか? ◆ ◆ ◆ 仕事においての一番のピンチを、ご存知だろうか。 大小さまざまな仕事のミスをしてきた僕がいえるのは、「仕事の結果が原因で、望んで入った今の部署を飛ばされそうになること」である。 前職では、営業で入って約半年、直属の上司に地方の工場勤務に飛ばされそうになったことがある。神経に火がついたようなひりついた感覚があった。 さて、ベトナムで営業して半年。今の僕になにが起きているのだろうか。 今週、ベトナム人女上司と現地日本人社長に呼び出され、
「いってらっしゃいませ」と言われても。 ◆ ◆ ◆ ハノイで知り合った日本人のおっちゃんから連絡があった。 「メイドカフェって好きですか?」 前の職場は、秋葉原が近かった。存在自体は身近で、興味もあったが、ついぞ入ることはなかった。 そう伝えると、ハノイに最近メイドカフェができたことを教えてもらった。「行きませんか」と誘われたので、ふたつ返事で応えた。 約2週間後の土曜日であった。 ◆ ◆ ◆ その土曜日が昨日だった。 ホータイというハノイの大きな湖の近くにそ
心を日本においてきてしまった。 ◆ ◆ ◆ ベトナムの旧正月のあいだ、10日間を日本の実家ですごしていた。そして、昨日の夜、ベトナムにふたたび帰ってきた。 今日一日、なにもやる気が起きなくて、ベッドかソファに沈んでいた。ベトナムに入国するさい、飛行機に心を乗せ忘れてしまったかのようだ。 適当に夕飯でも食べてさっさと眠ろうと考えていた18時前、電話が鳴った。 ◆ ◆ ◆ 僕の家から歩いて数十秒のところに床屋がある。広くて清潔感があるここは、韓国人のおじさんがオーナ
なにをながめていたのだろうか。 ◆ ◆ ◆ ベトナムが旧正月に入り、僕の仕事も長期休みとなったため、日本に一時帰国をした。帰ってきたからには、行きたいところ、会いたいひとたちがいた。 行きたいところとは、美術館だ。 絵の情景に漠然と思いをはせることも好きだが、「ぼんやりとした心地で歩いている空間にさまざまな絵が飾られている」という美術館の存在そのものも好きだ。 ぼんやりとした心地でいられる空間は、僕にとって、絵と同等、ときには絵よりも価値を持つ。 ◆ ◆ ◆