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優しいね、と言われると感じた違和感の正体

私は仕事でもプライベートでも思いやりがあると言われていて、優しいねとか言って貰えることもある。ただそれは、私としては何か違和感があることが多い。

なんでだろう?と思ったのだけど、私はこねくり回して全部の神経を集中させ、相手の様子を伺い、どう思ったのかを推察して相手の気持ちになろうと努力してそうさせている、というのが正しいからだ。

相手の話を聞いて自然とその気持ちを感じて、嬉しいねとか悲しいね、とならない。そのシチュエーションだったらこの人の性質だったらものすごくそれはしんどいだろうな、嬉しいだろうな、を察してから「わかる」を発する。

それこそが「優しい」んだよ。
と友人は言ってくれるけど、私としては無意識下でふわっと心を寄せられる人がとても優しいなと感じていて、そこにギャップが生まれる。

みんなが泣いている時に私だけ悲しくない時もあり、その時は必死に周りはなんで泣いているんだ?!と困ってしまうこともある。

これは親が自分に共感してくれなかったまま育った子にありがちなのだと目にした。

私の親は私の好きな物、友人関係に興味がなく、健康に育ってくれたらいいよ、が口癖なのは聞こえがいいが、裏を返せば細かいことは知らんということだった。自分も親になったらそうなるかと思ったけど、自分の子には学校で面白そうなことがあったら深掘りするし、好きなキャラクターは一緒に探し歩いたりする。

私は顔色を伺いすぎる子であったなと、アダルトチルドレン(AC)をよく意識する。

冷静な共感力に人間らしさがないなと思う日もあるけど、この力のお陰で素直に感想を言いすぎて相手を傷つける可能性をかなり減らせていることは、自分のいいところだなと開き直りつつある。

結果……私は優しいのかな、と最近は自分で自分に思ってあげている。

❅*॰ॱ
読んでくださり、ありがとうございます。

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