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実家の形が変わった日(1) おへその上のしこり

札幌の実家の母は83才。

2度目の脳梗塞の後、右半身付随になった父を自宅で介護しながら、同居する兄のお弁当を作り、家事一般を1人でやってきた。

妹は札幌市内に住んでいるが、実家からは対角線の反対側。
車でも1時間はかかる距離だ。

尋常じゃないストレスがかかる仕事をしているというのに、妹は休みはほぼ全て実家の両親ために使ってくれている。

実家の買い物。
両親の通院。
年に数回、母が自分のために外出するためのお留守番(右半身不随の父を長時間1人にすることはできないのだ)。

兄は実家に暮らしているのだから、本当ならもう少し兄に母を手続ってほしい。
皿洗い、庭の水撒き、雑草抜き、掃除などなど、できることは山ほどある。

なのに、母は兄にそれをさせなかった。

母は昭和15年生まれ、バリバリの家父長制の家で育った。
当時はそれが当たり前だったと思うが、母や母方の叔父の話などを聞いていると、ある程度は時代の変化の影響を受けつつ、いまだにそのばりばりの家父長制が色濃く残っている。

そうして母はいつも自分のことを後回しにして、家族のために尽くしてきた。

4月のある日、いつものように日曜日の夜に実家に電話をすると、病院嫌いの母が
「今度〇〇病院に行ってくる」
という。

どうしたのか聞いてみると、おへその上にしこりがあり、食欲がなく、体調が悪いという。

おへその上にしこり?
しかも、あんなに食べることの好きな母が食欲がない?
ご飯の後におまんじゅうでもケーキでも美味しそうに食べていた人が、甘いものが一切いらないのだという。
聞けば聞くほど、尋常ではない。

よくよく聞いてみると、実は年明けからあまり体調は良くなかったらしい。
でも、
「年のせいかな」
「除雪をして疲れてたからかな」
などと思い、特に深刻には考えていなかったようだ。

3月に転んで、その後、体が痛くて食べる量が減り、便秘とは無縁だった人が、便秘をし、お腹が張るようになったという。

本当はせめてその時に病院に行っていてほしかったと思うが、能天気な兄は
「正露丸でも飲んでおけば?」
などと言い、もともと病院嫌いの母は、正露丸をのんだり、便秘薬を飲んだりしていたらしい。

でも、4月に入り、おへその上のしこりに気づいて、さすがの母も病院に行こう、と思い、近所の病院に予約を入れたという。

ここまできいただけでも、
「何かある」
と思った。

おへその上に外から触ってわかるほどのしこりがあり、食欲がなく、甘いものすら食べたくなく、お腹がはって、便秘が続き、体調が悪い、というのだから。

それでも、その時は
「じゃあ、病院に行ってきたら、どうだったか教えてね」
と言って電話を切った。

だがしかし。
母に聞いた症状をいくつか書き込んで検索をしてみると、そこに出てきたのはわたしが決して見たくなかった病名だった。

それでも、「それはそれ」と思いたかった。
何かはあるかもしれない。
でも、治療すれば治るはずだ。

父はいくつもの病気をして、何度も入院し、手術をした。

胃は半分になったし、右半身不髄にはなったけど、それでもまだまだ元気でいてくれている。

そして、母の通院後、
「どうだった?」
と連絡してみた。

「何かはあるけど、そこではわからないから、大きな病院にいってくださいって。
T病院に紹介状を書いてくれて、来週診察を受けられるようにしてくれたの」

何かはあるとは思っていたが、ここまでスピーディに対応してくれるのは、思っていた以上のことがあるかもしれない。

この前ネットで検索したあの病名が頭を掠めた。

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