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私の中のたくさんのワタシたち

『解離性同一性障害』

私につけられた診断名。
簡単に言えば『多重人格』ってやつ。

多重人格って言うものに世間が思うイメージって何?

漫画みたい?犯罪者みたいで怖いやつ?厨二病?
そんなイメージと共にきっと『自分が沢山居たらいいなぁ』とか『辛い時に代わってもらえるんでしょ?』なんて。

そんな都合のいいことなんてなくてそれぞれが自我を持った存在なので好き勝手するし勝手に自殺しようとしたりなんか日常的に起こる。

それでも私たちはこの世界でいきてる。
私たちのそんな不思議な日常をここに記します。

※このお話は事実と創作織り交ぜてできております。また名前はすべて仮名です。

「なんか最近様子が変だよ」

高校2年生の時に友人からそんなことを言われた。
確かに気づいたら2日経ってたとかさっきまで何をしていたんだろう?とかそんな不思議な現象がここしばらく続いていた気もする。

「変?私何かした?」

「んー。なんていうか遥じゃないみたいな感じ。この間も体育終わったあと頭から水被ってたでしょ?」

そんな記憶は私には無い。

「その時なんか口調も変だったし俺っていってたし」

そんな不思議なことが何人かの友人から言われた。
元来私は深く考えることをしないタイプで『そういう事もあるもんだなぁ』なんて思っていて特に気に求めていなかった。

むしろその頃は他のことでいっぱいいっぱいだったから。

私の母は姉のことが大好きだった。
いつも構うのは姉ばかり。勉強もできる家族思いな姉は確かに母から愛されて当然だったのかもしれない。

受験も頑張って志望校にうかってそんな姉を母親は誇らしく思ったのかもしれない。

そんな姉はその頃低血圧とうつ病で朝起きることが出来ず学校に行けなくなっていた。
毎朝母はそんな姉を叩いて布団を引っペがして引き摺って学校に行かせようとしていた。

私にはそれはもう日常と化していてその様子を見ながら朝食を食べて母親の作ったお弁当をもって学校に行く。それが私の日常だった。

私の父は寡黙な人だった。中学生だった私に残る記憶は父を一方的に怒鳴りつける母親と黙り続ける父親の姿。もしかしたらその頃から私は何か変だったのかもしれない。

その頃私はご飯が食べられなくて食べては吐いてを繰り返していた。母親が作ったお弁当はいつも冷凍食品なんて入っていなくて全て手作りでそんな母親のお弁当を吐いてしまうことが情けなかった。恥ずかしかった。だから食べて吐いていた。
お弁当美味しかったよ、って母親に伝えるために。

姉が家にいないことが増えて母親の機嫌が悪い日が増えた。姉が家にいる日は私の部屋にきて静かに過ごしていた。私は姉がここにいて楽ならと思っていた。姉のいない日は母親の愚痴を聞いた。それも私が必要とされるなら当たり前のことだと思った。

日を追うごとに覚えていられない時間が増えて奇行が目立つようになった。
授業中に腕を切ったり、屋根の上に昇ったり。
それらを私は他人から聞いて知る。

そして初めて精神科を受診した。
そこで告げられたのが『解離性同一性障害』という名前だった。
私の中にはたくさんの私がいる。そしてその人たちは私が耐えられなかったことを肩代わりしてくれている。

私はどうしようもなく自分が恥ずかしくなった。自分はきちんと出来ているつもりだったのに。そうやって支えてくれて、私の辛い気持ちを持ってくれている人がいるという事実に。

それがたくさんの私たちのお話の始まり。

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