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美しき流れに心をゆだねる

第52週 3月30日〜 の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、1年間の締めくくりです。
この地球で美しき流れに心をゆだねられるように、という祈り
そして、ひとつになる。

では、読み解いていきましょう!

Z‘. ZWEIUNDFÜNFZIGSTE WOCHE (30. MÄRZ [2013]).

52.
Wenn aus den Seelentiefen
Der Geist sich wendet zu dem Weltensein
Und Schönheit quillt aus Raumesweiten
Dann ziehet aus Himmelsfernen
Des Lebens Kraft in Menschenleiber
Und einet, machtvoll wirkend
Des Geistes Wesen mit dem Menschensein.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1913


  心奥の
  気持ちが地球での存在へと向かう
  そして、宙の広がりから美がうねり出し
  そのとき、身体に宿すべき生命力が
  流れにゆだねる
  そして、確然たる響をうけながら
  大いなるものと人間をひとつにする

 

草木国土悉皆成仏

この世のすべての源である、大いなる存在とは、想像の域をはるかに超えた人知では計りしれれないもののように考えてしまいます。うらはらに、身近すぎてみえないものかもしれません。でも、たしかに感じられるものとして在るのです。ですから感じてみてくださいというシュタイナーのメッセージは一貫しています。

草木国土悉皆成仏《涅槃経》とは、草木や国土のような心識をもたないものすべてが仏性を有する。ことごとく仏となりうるという意味だそうです。春のこの時季。アニミズムの思想そのまま、日本人独特かもしれない感性を全開にして自然の中にいる自分、地球に生まれてきた自分に立ち返るというのはどうでしょうか?

話はそれますが、日常生活で大量絶滅が進行中であることを示す情報気にかけることってありますか?

ニュースをみれば憂い悲しみ危機感を抱くも、CMの後には別のことを考えている有様です。絶滅しかけているものが自分の一部であるなどと感じることはほとんどないですし、痛みを感じるはずなどありません。

いつも情報は向こう側の世界で、自分の一部などではなく、自分とは関係のない世界の出来事になってしまいます。でも、少しだけ、搾取と廃棄の現代社会システムを考えると自分の命って何なのかという疑問が浮かんできませんか? 

結局は、社会の一部としてしか生きておらず、地球の一員には成れていない…という、モヤモヤが生まれてくるのです。今週のテーマである、「地球での存在に向かう」にはいかにすればよいのでしょうか?

持続可能性の元祖「宇宙船地球号操縦マニュアル」を記し、多くのデザインの基礎を築いたバックミンスター・フラー氏の言葉を紹介いたします。

人間だけが『稼がなければならないゲーム』をやっている。だから、もしも自分が自然がして欲しいと望んでいることだけをやっているなら、私の面倒は自然がみてくれるにちがいないと考えた。大いなる知性が望んでいることをやっていれば前に進めるはずだ。もし前に進めないようなら、おまえのやっていることはまちがっているんだ。と自分に言い聞かせ、人生を他者のために捧げたひとりの平均的人間として、ただやるだけのことをやっていこうと心に決めた。

「フラーがぼくたちに話したこと」 リチャード J.ブレネマン

今も「稼ぐ」という言葉があるが、それは必要なものがみんなにとって充分にはない、という仮定に「もとづいている。もしみんなにとって充分なものがないのなら、いや、充分に行きわたっていないのなら、生命を維持するために、食べものやエネルギーや住居を得るために、たしかに必死に稼がなければならない。 けどね、平等な配給体制をつくりだせば、もう生活の糧を求めて“稼ぐ”必要はなくなる。自分が“やりたいから”やるんであって、生活にためにやる、なんてことは誰もいわなくなる。 “稼ぐ”ことの一部としてなにかをやるのをやめたときから、やる必要があるからやるんだ、と思えてくるよ。そうしたいと思うからやるんだ。じょうずにやりたくなったり、他のだれよりもうまくやれることをみせたくなったり…だから、やるんだ。人がやることはなんでも“稼ぐ”ためではなくなるだろう。

「フラーがぼくたちに話したこと」 リチャード J.ブレネマン

絶対的な生命体、あるいは知能、つまりは神は存在するとおもいますか? 

おおいにそう思うね。まったくそう確信している。われわれが発見した引力の法則を考えてごらん。宇宙のすべての物体、質量は、数学的にのみ正確にあらわされる関数によって、たがいに引っ張りあっている。その法則も、その発見も、両方とも純粋に知性的、精神的な現象だ。法則そのものはつねに存在してきたわけだから、永久なものにちがいない。ただわれわれがほんとうにやっていることは、私たちの知性より大いなる、永久的な知性統合体の、ア・プリオリ(きみたちの存在以前からここにある、つねにある、という意味)な証明を発見しつづけているということだ。その存在証明は圧倒的だ。だから私は、それを神と呼ぶ。つまり、われわれのまわりやいたるところで作用している、大いなる知性統合体だ。

「フラーがぼくたちに話したこと」 リチャード J.ブレネマン

現在の論調では、地球上の生態系や生物多様性を保護し、持続可能な未来の構築を目指すのだ!ということになりがちです。

しかし、第一にフラーがいう「大いなる知性統合体」を感じることから始まり、これらのことを学び共有すること。次に「稼がなければならないゲーム」から降りて、生態系の一部となりうる新しいシステムを試すこと。それら、全てが表現であることを認識して歓喜をえること!

その流れに我が身をゆだねるのであります。


心・技・体

次に「ゆだねる」ために大切なことはなんなのでしょう?

じょうずにやりたくなったり、
他のだれよりもうまくやれることをみせたくなったり…

これって、心・技・体の「技」なのではないでしょうか?

心技体とは、最大のポテンシャルを発揮するために、心(こころ)技(ぎじゅつ)体(からだ)の全てを整えることですよね。スポーツなどにおいては、ライバルと体と技術が同等である場合に、最終的に心の部分をいかに強化するかというのがポイントであるという話をよく聴きます。

しかし、表現の世界では、技術を大切にしないといけないのではないかと思うのです。

心が頭だけで先走っていたり、社会的にも職人を見下げる傾向ってありませんか?だれがやっても同じであれば自分がやる必要なんてないんじゃない?とつい考えてしまうことありますよね。

100人ができることって、だれでもできると考えがちですよね。でも10,000の内で100人、100人の内の1人しかできないようなことって「技」なのではないでしょうか?であれば、他のだれよりも上手くできるように「磨きをかける」ことって大切なのです。

導かれるように、ひとりの表現者の「力」が磨かれることで、
多くの人の幸福を招きいれられるのではないでしょうか。



2024年3月 桜


宙の広がりから美がうねり出し

冬を越えた桜は、何を象徴しているのでしょうか?

枝のいたるところから、ポツポツと咲き出す花が
徐々に全体へと広がって
やがて満開になる。

大いなるものが求めている
「生命」の謎や、「美」の謎を、とき明かしたいという願いを
地球で体験しているかもしれませんね。

そして真の成長が、つながりを生み
やがて、ひとつへと!



シュタイナーさん
ありがとう

では、また


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