現れよ、確かなる思考、愛ある思考
第48週 3月2日〜3月8日 の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、「現れよ」という少し激しめなメッセージ。
思考と愛の関係性について、
読み込んでみました。
では、いってみましょう。
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高みから力強く射しこむ光が
心に流れこむ
パズルを組立て、現れよ、
確かなる思考
光をひとつに束ね
心に愛を呼び覚ます。
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シュタイナーは、思考は質実な情報によってのみ構築される。というものではなく、「ガイスト(精神)化された愛の力」によるものである。といっています。
思考は、整然とした形式的なものではなく。無秩序な状態から愛の力の秩序によって結晶化されたようなものなのでしょうか。
愛は学ぶことができる哲学だと、「愛するということ」を著したフロムは定義づけていました。愛こそが現実的で、より豊かに、幸福を生きるための技術であるとしています。成功や威信、お金といったようなものに忙殺される日常より、愛することを学ぶように仕向けたのです。愛という秩序を学ぶことで人生が変わってゆくのです。
では、その愛とはどういうものかといえば、キリスト教でいうところのアガペー。アガペーとは、神が人をいつくしむような、無償の愛のことです。利他的な想いから発せられ、感情や感覚に現れるものがそれなのです。
そして、さまざまな断片化された愛が。大いなるものから発せられる光により秩序づけられ、自由な思考が呼び覚まされるのでしょう。
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上記のような文章を読んでみると、愛というエッセンスがある上で書かれているニュアンスが感じられませんか?
愛がなければ思考世界で作用しつづけるなんて無理なんですよね。
思考のために愛が必要なのだという主従関係ではなく、確かなる思考と愛との関係は共存関係。同時に出現し、思考が愛により現実化するという教えなのでしょうか。
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翻訳をしていて、思考と愛の同時出現をイメージしてみると、謎を解く思考性という感じより、出現している愛のピースを組み立ててゆくという感じが強いのではないかな、と感じました。
今日のあの人の声。
春近き野原で咲き出した小花。
本を開いたときに入ってくる美しき言葉。
等々
あなたの日常に、
思考し愛が感じられる時間を持つように
そして愛を感じ、愛によって表現されたものが「現実(思考)」になる。
ですから「現れよ」と、静かに檄を飛ばしているのでしょね。
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日照時間が長くなり、同じ時間でも光の角度が変わったような気がします。ほんの1週間ほどの差なのに大きく変化したように感じるのは、時間の感じ方と同様に量子力学に関係していたらいいなと思ってしまいます。
自分が観測したとおりに光の具合も変容しているのだ。となったら、こよみの中に出てくる象徴的な光のイメージとリアル世界の光とがリンクして、さぞかし美しき光景が広がるのではないかと想像してしまうのですね。
それでも、あなたが観ている光景を、私が全く同じに観るのは不可能なわけで、「高みから力強く射しこむ光」という言葉から現れし光景も人それぞれ、同じ世界を観ることなど到底不可能なのであります。
でも、今週の詞(コトバ)を読み込んでみて
そこに「愛」があったらどうよ?
という観点もあるのかもしれないと直観的に感じました。
愛し合う者同士が観つめる光景や思考というもの、
自分一人だけではなく、つながっている者同士がつむぎだす光景は
共有地に出現しているかもしれないと。
と感じる次第です。
愛する人と過ごす空間の中で感じる、
温かな日差しや月明かりがエモーショナルな感覚を呼び覚ます。
「愛」とは、他者と自己をつなぐ重要な役割を果たしてますよね。
そこに、美しさが隠されているかもな。と思うのであります。
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3月って卒業式シーズンでもあり、毎年「なにかが終わりなにかが始まる」予感みたいなものを感じてませんか?
今年、卒業して、次に進むべき道のイメージはどうでしょうか?
パズルを組立て、現れよ、
確かなる道(思考)
光をひとつに束ね
心に愛(あなた)を呼び覚ます。
愛のある一歩を踏み出せる3月であることを。
*
シュタイナーさん
ありがとう
では、また
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