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アートと自分の将来像

アートの将来像を考えなくてはならないと考えています、現代美術と呼ばれるようになってから、時間をかけて、アートは様々な表現領域にまで拡がってきました、例えばシュルレアリズムがお笑いの一コマになっていたり、アルコールインクによる抽象画など、知らず知らずのうちに、誰しもが現代美術的なものにふれ、もはや、生活の一部分になっています

これら、“なんかアートぽいね”という方向性は将来において、収束してゆくことは考えづらく、さらに拡がってゆくことが考えられます

しかし、それに反した、“アート然としたアート”、格式ばった、権威的で、理解しがたい、学術的アートは、今後も、どんどん世間との障壁は高くなり、乖離していくであろうと、予想できます

そして、仮想空間(インスタレーション的)などでの発信では、作品ではなく、イメージそのものをアートとして取り上げ、技術的な裏付けと、哲学や観念などを再定義し、その拡張によって、それがアートであると、自らが設定した作品が、“自称するアート”となって、世間に認識されていくのではないでしょうか

そうすれば、観る側、つくる側も “アート然としたアート”から解放され、“なんかアートぽいね”というアーティスト蔑視が軽減され、評論ではなく、自他ともに認めあうアートがアートであるという “自称するアート”という道筋が、今後のアートの王道になってくるのでは、と考えられます

世の中の様々な人間の行い、想像のなかに、すでに “自称するアート” は、無限に存在しているのではないでしょうか

現代美術の歴史は、それらを掘り起こすプロセスだったという解釈もできるのではないでしょうか

未来において、アートは、人類にとって創造する領域ではなく、想像の中で価値を生み出し、もれなく存在し続けてゆくのではないでしょうか

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今日は、将来のアート像にたいする仮説を書いてみました

昨日、インスタをみていると、ルネ・マグリッドの現代版みたいなアーティストがいてビックリしました、マグリッドの絵は、描写力がやや劣るように感じる(そこが、魅力なのかもしれませんが)ところを、

そのインスタのアーティストは、テーマは現代版マグリッドを彷彿とさせ、描写力は150%アップしたかのようなテクニックで、シュールレアリズムどまん中といえる出来映えでした

そのような作品も“自称するアート”として、無数の点のひとつとして、世間に浸透していくべき(もはや、している)、なんじゃないでしょうか

自分自身も、“アート然としたアート”から“自称するアート”の方向へむかい、想像の中でおもしろがってもらえるような、作品づくりをしてゆき、そんな人たちとつながりをもちたい

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今日も読んでいただきありがとうございます
ますます、熟考してゆきます
応援してくれたら、うれしいです!

では、また



無数に存在しているものに気づく
Notice the myriad things that exist.
© 2023 Yuki KATANO

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