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『特別』だから選ばれる?

キラキラしているあの人がうらやましい

素敵なものをたくさん持っているこの人だから愛される


意識的にでも、無意識的にでも
そのような思いや感情を抱いたことはないですか?


私は今となってはかなり少なくなりましたが、
過去にはこのような思いをたくさん抱えていました。

しかし、私のその思いの根底には

選ばれたかった

人にも、幸運にも。


素敵で、たくさんのものを持ち
たくさんの人に囲まれたあの人は
『特別』だから、人にも、運にも選ばれる。

そんな風に思っていました。


だったら、『特別』にならないと
いけないんだと思ったのです。


学業を頑張り、学年の上位をキープ。
部活動でも、主将か副主将、スタメンキープ。
知識もたくさん入れ込んだ。
親、教師、上司たちの期待に応え続けた。
優秀であり続けた。


誰よりも、何かよりも

特別に。


そうならないと、
幸せになれない、
楽しいことも起こらない、
嬉しいこともやってこない。


そうやって
誰かよりも秀でることで
『特別』を確保しようとしていたのです。

そもそも

この社会の集団の中に溶け込んで
自分がどこだかわからない。
自分がいるかどうかもわからない。
透明人間のような感覚を持っていました。


だからこそ、人に、幸運に見つけてもらうためには
私がここにいると主張しなければいけない。


そんな風に思っていました。


でも、どれだけ『特別』をつくりあげても
人にも、幸運にも見つけてもらうのは別の人。

ずーーーーっとこのループを続けていました。



そして、そのループに気がつき、
その根底にある思いに気がついた時、
私が本当に求めていたことも気がついたのでした。


私は選ばれたいのではない

私はここにいる、ということを確認したい。


それが本当に欲しかったものでした。


私が誰かや何かに認識されていないと
私が本当にここに存在しているのか
生きているのかどうかさえもわからず
とてつもなく不安であり、恐れていたのでした。

ずっと、自分が【不在】だったのです。

選ばれることで、見つけてもらうことで
私という存在を確認していました。

自分で自分の存在すら認めてあげていなかったのです


だから、結果として選ばれない。


だって、【私】がいないから


自分がいないのであれば、
他人が見つけることなんてできませんよね。


もちろん、この見つける、というのは
物理的にという意味ではありません。


他人からも、幸運からも選ばれる人、


それは

【自分】がある人


そういう人たちは、まず、
誰かから選ばれることで
自分の存在を確認するでもなく、
他人から認められるから
【自分】を認めるのでもなく、


自分で【自分】を認めている


それって、ちゃんと自分で
【私はここにいる】と、
他人や自分以外の何かに頼ることなく
認識できているんです。


【自分】を認める行為って
「私はここにいますよ」って
言ってあげること。


選ばれない人に限って
外側だけ見繕ってきて
内側が不在なんですよ。


ヤドカリの殻はあるのに
ヤドカリがいない状態。


そんな状態なのに、
他の存在があなたをわざわざ尋ねにきますか?
わざわざその貝殻の主人を
誰かが見つけようとしますか?
不在なのに何かを与えようとしますか?


あなたがみているその『特別』は
あなたが取り繕うその『特別』は
ヤドカリの貝殻にすぎない。


あなたがそこにいるから
見つけてもらえる
選んでもらえる


大切なのは【あなた】という存在


あなたが選んでもらうために立ち返るべきは
知識や技術やノウハウなどの
外側のものではなくて

【あなた自身】


なんだよね。