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私たちが分離した意味

スピリチュアルに関する学びに
触れたことがある人は聞いたことがあるだろうか。

分離と統合

そして

陰と陽

そういった話を今回はしていきます。



私たちは元々ひとつの統合した存在でした。

本来、ひとつ、というカウントも
地球の概念でしかないのですが。
それは区切ることができないものであり、
あえて言語化するという都合上、
ひとつ、と表現します。


その、ひとつであったものから
分離をして、境界線が生まれ、
ひとつのものから『個』が生まれてきました。

この『個』が生まれたのは
⦅統合した状態から分離をし、再度統合を果たす⦆
という宇宙の意図が、衝動が生まれたため
起こったものでした。


だから、世界は分離しているのです。


世界のあらゆるものに
光と闇、表と裏、ポジティブとネガティブ
このような二面性がある理由はここにあるのです。


私たちは『個』という肉体を持っています。
⦅あれではなく、これである⦆
私たち肉体を持った存在というものは
そういった、否定と肯定を持ち合わせた存在です。


私たち人間、宇宙の目指すところは『統合』


元々統合された状態から分離し、再度統合へ向かう


これが、元の統合されたひとつの存在の目的、意図


この統合を目指す、というのは
元の統合されたひとつのものに戻る
というわけではないのです。

全く別のものを目指しています。


統合された状態から、

わざわざ

分離を経ているのです。


分離を経てからの

⦅統合⦆


これを目指しています。


二極化からの統合

それが私たちには求められているところ。


しかし、
私たちはどうしても
闇、裏、ネガティブ
これらを嫌煙します。


見たくない。
受け入れたくない。
否定したい。

その存在を認めたくない。

そのようなものを根底に抱えている人の方が多い。


しかし、
否定したい対象
そして、
否定したいという感情

これら全て、必要であり、大切なもの。


先ほど書いたように、
私たちは

否定と肯定でできています


私という存在は
目の前の人とは違う存在である
目の前にある物質とは異なる存在である

そういった否定があり
私である、という肯定が生まれる

『私』という存在が生まれる


否定を肯定に変えることが
統合することではない
と、思っています。


否定するものをそのままにする
それを否定でも、肯定でもない
何ものでもない何かにする

いわゆる

中庸


を見つけていく。

これが私たち存在の課題なのかもしれません。



私たちにとって

『好き』


という感情の大切さは
多くの人が語っているでしょう。

しかし、それと同じように

『嫌い』


という感情

⦅否定するもの⦆


これらもとても重要なのです。



『嫌い』などの否定するもの、ネガティブなもの
闇、裏…それらはいろんなことを教えてくれます。

そして、自分を自分たらしめてくれるものになってくれています。


これを読んで、

あなたはこの

⦅否定するもの⦆


をどのように受け止めますか?


誰かを嫌いたくなる感情
何かを否定したくなる感情

逆に

誰かに嫌われること
何かに否定されること



あなたの⦅否定⦆も見つめてみてほしい。


あなたの⦅否定⦆する部分は
本来拒絶したくなるようなものではないのです。


痛みを伴うこともあるかもしれません。

ですが、
それを越えた先に

あなたという存在
もとい
私たち人間という存在の
本来求めているものがあるのです。


これはひとりではできません。

誰かがいるから、できるのです。


分離した存在である私たちだからできることなのです。