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将来の夢は『平凡な生活』?


こんにちわ!yukiです


前回の記事にて、
『欲望』についてお話ししました。


で、

改めて、自分の『欲望』に対して
見直してみまして、気がついたことが。


私、思っていたより


欲がない。



あれ?って思ったのです。


自分は欲深ーーーい人間だ

と、思っていたのに。


先日
「(外見的に)どんなふうに見られたい、とかある?」
と、

こんな外見になりたい、こんな人みたいになりたい、

とか

そういったものがありますか?
と、聞かれた時に、

出てこない。


そんな自分にびっくりしました。


そこで思い出したことが、
小学生の卒業文集で書いた、将来の夢について。


みんなが
美容師や弁護士、医師など
思い思いに夢の職業を書く中で

私が書いた夢は

『平凡な生活』


ある意味、現実的すぎたと言いますか…


当時の私は、実現可能なことを
夢として定義していたのだと思います。

私にとって、
『これからの』自分ができるかどうか、ではなく

『今の』自分にとって、実現可能かどうか


それが夢として設定する決め手だったのです。



今の自分を越えて、
こんな自分になりたい!
という、

欲がなかったのです。


そんな自分を思い出されてきました。


その当時の私は、

私自身に期待をすることを

あきらめて


私自身の可能性のなさに

絶望


を感じていたんですよね。


自分はこんな程度
自分はそんなこともできない
自分はあの子のように優秀ではない
自分はこの子より期待されない


自分の可能性を、自分で制限して

世間一般から飛び抜けない
出る杭にはならない

無色透明な存在であることを選んでいた


透明で、誰にも見つかることなく
可も不可もない空気のような存在、状態を
無意識に選んできていました。


当時の私自身の欲のなさの根底には

あきらめや絶望


が、あったのです。




欲望が出てこない、という時は

2種類あると思うのです。


今の生き方に大いに満足している


または

根底に諦めや絶望を抱えている


そのどちらか。


前述した、
「どんなふうに見られたいか?」
と、聞かれた時に
欲が出てこなかった自分を見つめると

⦅自分は自分である⦆

と、思っている裏側に


⦅自分はこの程度⦆


というあきらめるような思いが
隠れていることに気がついたのです。

この違和感があったからこそ、
自分が『驚いた』といった反応が出てきたんだな、
と認識したのでした。




『欲望』はつながりを生むもの


この世界で生きる私たちにとって
切っても切り離せないものです。


『欲望』を拒絶すること、あきらめることは

他人、社会、宇宙

そして

自分自身とのつながりを拒絶すること、あきらめるということ


それは、私たち人間が最も恐れている

拭い去ることのできない空虚と孤独


に繋がるのだと感じるのです。


『欲望』を感じられない人

⦅自分は自分⦆⦅これで十分満足している⦆
そんなふうに感じている人

本当にそうだろうか?


そんな自分に自信持って、『そうだ』と言えるだろうか?
あなたはあきらめや絶望といった感じを拒絶していないだろうか?


どんどんそんな問いを
自分の人生に持っていく。


それが

自分の人生を愛する

自分の人生を自分で創り上げる


ということ。


さて、あなたにはどんな『欲望』がありますか?

もし、あなたがあきらめや絶望の中にいるのであれば、

もう、その中に居続けることは終わりにしましょう。

あなたが本当に欲しているものは

その『欲望』の先にあります。

どんどん望んでください。
もっと欲してください。

あなたはその程度ではありませんよ。

あなた自身を信じてあげてくださいね。