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あなたも私も吉祥人

こんにちは。

突然だが私はひどく変わった人間らしく、つい先日も大学時代からの友人に「何を考えているのかよくわからない」と言われた。
言われ慣れたセリフなのでもう特に何も思わない。昔は気にしていたけれど、今は何を考えているのかよくわからないところこそが私の取り柄なのではないかと思ったりしている。

ただ、自他共に認める変わった人間の立場から言わせてもらうと、そもそも変わっていない人間なんていないのではないか。
そこにあるのは、変わっていると思われやすいか否かの差異にすぎないのではないか、と。

先日も吉祥寺のカフェでこの仮説の確らしさを感じたので聞いてほしい。

18:00頃そのカフェに入店し、コーヒーとココア、いずれを注文するかで散々悩んだ挙句、いつも通りコーヒーを注文して席についた。
三階建てのお店で、一階も二階も満席だったので仕方なく三階の空いている席に腰を下ろした。予約席に導かれるようにスムーズに、私の座る席は確定された。

楽しみにしていた本をリュックから取り出し読み始めた。読書をしていると時々本当に没頭してしまい周りの音が入ってこないことがあるのだが、この時もそうなっていた。

しかし突然現実世界に戻された。まるでアラームで目覚めるように、戻された。きっかけは向いのテーブル席に座る二人組の会話。
どうもお笑い好きのツレらしく、先日のM-1グランプリについて批評を展開していた。
ミーハーながらもお笑い、とりわけM-1好きな私の興味のアンテナが彼らの会話をキャッチしてしまった。
何が言いたいって、彼らも十分、愛すべき変わり者だったと思うのだ。
だって誰もが振り向くようなラウドボイスであんなにも国民的なショーを斬っているのだから。怖いもの知らずですよほんと。
ただ誰もが振り向いたというのは少し事実と反する内容だった。次なる変わり者の刺客は例外だったからである。

皆が少しずつお笑いコメンテーター二人組の会話に慣れ始め、私なんかは慣れすぎて心地の良いラジオかと錯覚し始めたところで、私の右隣の席に座るカラフルなニットを着た男性にスポットライトがあたった。言うまでもないがスポットライトというのは私の頭の中に常設されている架空の舞台セットであって、実際にその場で場面転換がなされたわけではないので安心してほしい。そんなフラッシュモブみたいなカフェがあったら面白いね。

ニットの青年はノートを縦に開き、一心不乱に文字を書き殴っている。シナリオライターか脚本家か、無論確かめてはないがそんな気がした。
彼は先の二人組の会話には一切聞く耳を持たず、ノートとペンに向き合っている。
彼の持つボールペンにはご丁寧にフルネームが書かれていて、申し訳ないが思わずクスッと笑ってしまった。キャラ立ちすぎです先輩(いやもしかして後輩?)。
しかし名前が書かれているといってもあれだ、あの子供の頃筆箱とかにつけていた、自分の名前を入力してテープで出力されるやつ。テプ、、、なんだっけ。とにかく、自分で作るタイプのあの名前シールが貼られていたのだ。フォントサイズもなかなか激しめで、近くの席の人は全員漏れなく彼のフルネームを知ることになったと思う。
あ、思い出した、「テープラー」だ。
彼も愛すべき変わり者だ。そして彼が将来なにか作品を世に出すことがあれば、私はガッツポーズをするだろう。その時のために、フルネームは忘れないでおこう。

ここまで二組もの変わり者を観測した私は、恐る恐る左隣に視線をやった。
そこにはメガネをかけた男性。なんといっても、いままでにないまともな雰囲気。安心と、なぜだかちょっと寂しい気持ちが湧いてきた自分に思わずツッコミを入れていた。なんでやねん。
パンとアイスカフェオレのセットを幸せそうに食す彼には、先の二組のような特筆すべきツッコミポイントは今のところない。私はこれまたお門違いなのだが、現実に戻るように、同じページを開いたままだった手元の本に視線を戻した。
少しばかり時間が流れた。そして私の前をその男性が通りかかったことに気がついた。どうやら私が読書している間に一階に降り、追加注文をしてきたようだ。トレイを手にしてにこやかに席に着く彼。
ここで、念願のツッコミを私はすることになる。彼はさっきと全く同じパンとアイスカフェオレのセットを持って運んできたのだ。

「いやデジャヴ!!」

もちろん声には出さない。
だが私は謎に、これこれこれ!と水を得た魚のように心を躍らせていた。君にもあるじゃん、ツッコミどころ!と。いま振り返ってみて、自分でも意味がわからない。なにを期待してたのだ私は。
お分かりの通り、静かに誰よりも変わり者をしていたのは、私だった。
そして書きながら気がついたのだが私はボケかツッコミか、どちらかというとツッコミタイプの人間なのかもしれない。
それから、自分を楽しませてくれるボケを心待ちにしながら読書をするツッコミこそ、本物のボケなのかもしれない。

だらだらとオチのないエピソードトークに付き合わせてしまってごめんなさい。
言いたいことはつまり、私だけが変わっているのではないのではないか、ということだ。

話を戻そう。
私は先ほど、人間誰しも変わっていて、それがちゃんと変わり者として認知されやすいか否かの差異がそこにあるに過ぎない、と言ったんだった。
あぶないあぶない、なんとか戻ってくることができた。

では、私自身どの程度変わっていると思われているかというと、例えば今私が、

「今から一人で山に行って滝に打たれてくる」

と突然言い出したとして、私が一定以上親しくさせていただいている知人なら、驚きこそするだろうが、「急にどうしたのだろう、おかしくなったのかな」とは思わないだろう。「またなんか言い出したな」とあしらわれるのが関の山だ。
私の発言に本気で驚いてくれる人というのはつまるところ、私がまだまだ自分をオープンにしていない、猫かぶりをしている相手ということになる。

注文していた夕飯が届いたので、続きはまた明日。私から見える世界についてもう少し書かせていただきます。

では、また。




▼後編 「今日も明日も吉祥人」

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