「つぶやきでも繋がりたい。」そんな方のために、「つぶせん」を作成しました。情報の視認性や瞬発力でつぶやきに適うものはない。タイパで選ぶなら間違いなく「つぶやき」!認知拡大ツールとしてつぶせんをご活躍ください! ぜひこちらからご参加ください。 →https://note.com/jeu3eds49/n/n7461c0361720
ゆきふる
何度も読み返したい、、、そんな素晴らしいクリエイターの素晴らしいノートをまとめさせていただきます。
26歳。
食べかけの ケーキ かじりかけの クッキー 飲みかけの コーヒー 読みかけの 本 二冊 書きかけの エッセイ 生きかけの わたし
私、iPhoneで文字を打つのが本当に苦手で、いつまで経っても入力が遅いんですよね。 でも、だからこそ割り切ってゆっくり丁寧に入力しています。 ゆっくり文字を入れていると、言葉の意味、その言葉の持つ空気感をちゃんと考える余裕が生まれて、結果的に書くのが楽しくなってます。
家から歩いて5分ほどのところにある、個人で商っている行きつけのパン屋さん。 休日の朝、少しだけ早く起きてこのお店に来るのが、私のお気に入りのムーブだ。 たかがパン屋に行くだけのことと侮ることなかれ。 パン屋に行って帰ってくるというこの至って日常的な時間の中には、高級ホテルの朝食ビュッフェで過ごすような贅沢な時間にも匹敵する、いや場合によってはそれを凌駕するような幸せが詰まっている。 まずもって声を大にして言いたいのだが、パンとはクリエイティブそのものだと思う。 パンとは、
「リアルがないんだよ」 最近、他人から言われて印象に残った言葉である。 私は、本業の傍らアマチュアで俳優をやっている。 まあ俳優とは言っても、たまにエキストラで撮影現場に行くくらいで、たいしたことはしていない。 俳優と表記するのもなんだかむず痒いほどに何もしていない。 だが最近は少し気持ちに変化があって、多少なりお芝居に関わっている者であれば、それはもう俳優と言ってしまっていいいのではないか、むしろその方が失礼が無いのではないかと思い始めている。 今日は私が、なぜお芝
"ワンちゃんは人間より歓迎です" 最近ハマっているフレンズのアルバムを聴きながら、夜道を一人歩いていてふと、そんな「ツッコんでください」と言わんばかりの魅力的な誘い文句が目に飛び込んできた。 どうやら進行方向左手に佇む、おしゃれな雰囲気のお店の看板らしい。 看板を眺め、スマホのカメラを構えた瞬間、お店の扉が反対側から開かれ、中から元気なワンちゃんが顔を出した。私自身、犬は好きだがあまり詳しくはなく、犬種についてはよくわからない。ただとにかく元気で可愛らしいのだ。 ワンち
「大人の朝読書」のすすめ 毎朝の朝活、基本は何をしてもよいことにしていますが、確実にメニューに読書を含めています。 朝のうちにまとまった読書時間があると、積読を確実に消化していけるのが爽快です。 また朝摂取した情報をもとに日中にアイデアが湧いてくることも。 朝読書、好きです。
本を書きます…! 最近、知人にそう宣言しています。 以前の記事でもお話ししましたが、本を出すことは私の夢の一つです。 その記事を書いたのは、約一年前。 「絶対読むね」 そう言ってくれる方がいます。 いよいよ、本気で向き合おうと思います。 書きたいことが、あるんです。
こんにちは、ゆきふるです。 今日は、昨年6月に公開された映画『渇水』を鑑賞した感想についてお話ししてみたいと思います。 個人的にはすごく没入して鑑賞できたとても印象的な作品です。 斬新な世界観と、その中にある人間ドラマが魅力的で、思わず引き込まれるような映画体験でした。 ※本記事は映画『渇水』のネタバレを含みます。 ネタバレが望むところではないという方はこの先をお読みにならないようお願いします。 映画『渇水』とは 基礎情報 監督:高橋正弥 原作:河林満 脚本:及川
こんにちは、ゆきふるです。 いつも私のnoteを読んでいただき、ありがとうございます。 ありがたいことに、このnoteのフォロワーさんも1,000人を超え、記事にもたくさんのコメントをいただいております。 本当に文章好き冥利に尽きます。 思い返せば私が文章を書くということを始めたのは、高校の文藝部員時代でした。 とはいえ、当時はだらけきっていたので、年に一度、文藝部誌のために短編を書き下ろすくらいしか目立った活動はしておりませんでしたが。 今日は、原点に立ち返ろう!と
先日、実家に帰った際に、ふと小学校の卒業アルバムを開いてみた。 この埃かぶった立派な書物を開くのは、もしかすると小学校卒業以来初めてだったかもしれない。 たいていは高校時代や大学時代に、友人たちとふざけ半分でお互いの小・中学校時代の卒アルを見合ったりするものだと思っていた。 だが、私にそのような思い出は一切ない。 私は、またしても青春のチャンスを逃したのだろうか。 あるいはドラマの見過ぎなだけで、卒アル閲覧会というイベントはあまり一般的ではないのだろうか。 そこんとこどう
小学生の頃からの憧れの大女優、あの人って吉野家とか行ったことあるのかな。 ひとたび「牛皿定食」を注文してしまえば、大変安く、無限にご飯を食べ続けることができるという神システム、きっと知らないだろうな。 というか興味もないだろうな。 Uberでなら食べたことくらいはあるかな。 なんてくだらないことを、今日も今日とて考えている。 ここは「吉野家 東銀座店」。 仮にたった一日、その大スターと好きに過ごせる権利を得たとしよう。 私は絶対、吉野家に連れて行く。 意思は固い。
松茸のお吸物をいただいた。今の気持ちは、veryはつかない程度のhappy。
「ねえ、きいてきいて。」 私が何かを書く時、こんな衝動的でわんぱく的な感情に突き動かされているような気がします。 それはまるで、子どもが親や学校の先生に訴えかける時のような。 それくらい本能的に、「書きたい」「聞いてほしい」という感情が湧いてきて、筆を走らせていることが多いのです。 今もまさにそう。 文章を書く、ということを始めてから長い時間が経ちましたが、 自分はなぜ文章を書くのだろうか? なぜ、何かを表現するのだろうか? そんなことをひたすらに考えてしまうこ
高校時代の友人と、久方ぶりに会った。 おそらく3年ぶりくらいの再会だった。 各々大学も違うところに進み、まして就職後などさらになかなか接点がなくなっていたため、こうしてかなりお久しぶりの再会になってしまった。 だが会ってすぐに、安心した。 皆、各々取り巻く環境や人生のフェーズにばらつきはあれど、高校時代とさして変わらぬ、くだらない話で笑い合えたのだ。 地元近くの飲み屋に入り、まずは各自の近況報告をした。 そして案の定、高校時代当時の思い出話へと話題は移る。 倫理の先
今日から4月、新しい年度の始まり。 そして1週間の始まりでもありますね。 当たり前に続いていく生活に、何食わぬ顔で生きるのではなく、そんな当たり前なことにこそ、感動していたいです。 大きな変化もささいな心の動きも大切に。
先日、友人との会話の中で、 「好きな漢字はなにか?」 というスレッドが立った。 一見、普段会話になってもおかしくないテーマだが、私にとって、実は一度も考えたことも話したこともないものだった。 こういう、各者の回答からちょっとした思慮と指向性が垣間見えるような問いが、たまらなく好きだというのに。 いけない。 いつものようにまた話が横道に逸れてしまいそうだ。 今日はこの「好きな漢字は?」という問いそのものの魅力について語りたいというのではなく、どちらかと言うと、私個人