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私の生い立ち(その4)〜 高校時代の予想外の出来事① 〜

学生生活において、勉学、部活・委員会活動、それぞれの学校行事というのは、ある程度レールが決まっているわけで、それに人間関係が組み合わさって、それぞれのイベントみたいなものに変化してると思う。
進路はその延長になると思うのだが、どの時点で将来の道すじを決めるかなんて人それぞれで、進学しても「自分がやりたいこと」が決まるとは限らない。
ただ漠然と、色々な情報を元にしながら、流れに身を任せて・・・なんてこともあるだろう。
子供の頃だけじゃなく、大人になった今でさえも、そんな風に過ごすことが多いかもしれない。


いつの年代でも、生きていく中で予想外の出来事は起こり得ることだが、中でも本当に衝撃だった出来事が高校生活で2つある。
その1つが、高校2年の時に訪れた、「同級生の死」である。


高校2年の冬休み明けの始業式、登校していなかった男子クラスメイトがいた。
最初は病欠か何かだと聞かされていたが、実はその日の朝に亡くなっていたのだと、式の後 先生から伝えられた。
それを聞いた時、現実のものだと全く捉えられなかった。

人はいつか死ぬ。
もちろん、小さい時から病気を患っていたり、不幸な事故・事件などで、若くして亡くなってしまうこともあるけど、大半は歳を重ねて、その中で病気になるとか老衰とかで死ぬんだと思ってた。
だから、自分が頭の中で勝手に決めつけていた、「人の死に対する年齢のボーダーライン」みたいなものが覆されたことで、頭の中が思考停止状態になったのだ。

そのクラスメイトの死は、突然死だと伝えられている。
でも、「自ら命を絶ったのではないか?」という疑念も、クラス内では囁かれていた。
真相はわからない。
なぜならそのクラスメイトと、ほとんど会話をしたことがなかったからだ。
その人の性格や、何が得意で何に興味を持っていたか、その人の人となりを全然知らなかった。
ずっと近くにいたけど、クラスメイトよりも他人に近かった。

だからこそ、身近に起こった同級生の死が怖くなった。
死ぬということは、まだ若い高校生の私たちでも起こり得るのだと思い知らされる。
クラスメイトという存在が、急に胸にズシンとのしかかってきた。
どこかで起きた出来事じゃなくて、今 自分に起きてることなんだと。


私たちのクラスは、その男子クラスメイトの告別式に出席している。
棺の中の彼の顔を見た時、彼と仲良かったわけじゃないのに、すごく涙が溢れ出た。
彼はもう目を覚まさない。
動くことも、話すこともなく、冷たくなってしまっている。
もっと彼と話せたかもしれないのに、とか本当に月並みな思いしか浮かんでこず、ただただ彼の顔を見つめて泣いてしまった。
その涙はどんな感情なのかと問われても、言葉にするのは難しい。
色々複雑だったが、何かの感情で泣いたのではなく、自然と涙が流れていたのだから。

告別式からの帰り道、歩きながら学校へ戻る道のりの中、彼という人はどんな人だったのか、誰と仲良かったのか、とか話したりしてたんだけど、接点がほとんどないと会話も途絶えてしまう。
そこからは皆 沈黙で、人の死について考えてしまう人もいたんじゃないかと思う。

その出来事により、何気ない日々とか、人との関わりは大事にしなきゃいけないって思ったりしたけど、その2か月後に春休みに突入し、クラス替えがあったりして、自然に「過去」のものになってしまった。
今 自分の身近な誰かが、何の前触れもなく亡くなってしまったら、もちろん衝撃を受けるのだろうが、あの頃はまた別の思いだったと思う。
それが突然のことだったら、準備も覚悟もできないのは変わりないけど。

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