見出し画像

「オケバトル!」 30. うさぎレベルの陰謀



30.うさぎレベルの陰謀



 バトルのルールでは、本番の開始時刻が迫っている旨を出演者に告げに来る役割のタイムキーパーは存在せず、リハーサル室から舞台袖へと移動する時間配分も、チームごとの判断に任されていた。そして何らかの勘違いなどで、舞台に乗る時刻に袖に待機が出来ていなければ完全アウト、個人でも、チーム全体でも、即刻脱落となる。
 なので、セカンド首席を希望しながらも、指揮者の立ち位置でリハーサルを仕切り、洗練にはほど遠く、とってつけたような妙ちくりんなワルツのリズムと悪戦苦闘していた有出絃人も、時間の管理には充分気を配っていた。左腕には自身のアナログ時計と、メトロノームやチューニング機能も兼ね備えた小型のデジタル時計を譜面台に置いて。

 先攻のBチームに延期の報告をすませた宮永鈴音は、何も知らないAチームがギリギリまでリハーサルを続けるだろうと踏んでいたので、終盤の頃合いを見計らってそっと入室した。
 Bの指揮者とは大違いで、撮影クルーを引き連れて自分が姿を見せても、有出絃人は完全無視である。リハ室の空気も、大いに楽しんでいた様子のBとは真逆で、優美なワルツの課題曲というのに妙な緊迫感に包まれており、それはひとえに中心にいる彼が大元で、口出しなんてもってのほかといった近寄りがたきオーラを放っていた。
 本番前の化粧直しやトイレ休憩、つかの間の一服を、皆は既に諦めていた。

 ギリギリまで調整しても、もはやお手上げ。こんなのは偽のワルツだ。といった絃人の懸念はスタッフら第三者にもすぐに伝わった。
 しかし結局のところ肝心の指揮がどうなるかくらいは、はっきりさせておかねばと、緊迫かつ険悪の空気を打ち破り、
「あのう、一応確認しておきたいんですけど」
 今回のトロンボーン首席がおっとり調で口を開く。
「結局は、有出さんがセカンドパートを弾きながら、指揮台に立って拍子をとってくれるんですよね? いわゆる弾き振りで」
 しかし有出絃人はそっけない答え。
「こんな調子のままで自分が指揮なんて、責任がとれませんね」

「弾き振りとは」
 ここではリポーター役の宮永鈴音が視聴者のために、うんと声を落として注釈を入れる。
「ヴァイオリンやピアノなど、オーケストラのメンバーと一緒に楽器を奏して自身のパートも受け持ちながら、同時に全体の指揮もすることです」
 古くはウィーンフィルのニューイヤーコンサートで、コンサートマスターのウィリー・ボスコフスキー氏がヴァイオリンを奏でながら軽快に指揮をしていた、何とも粋な姿が有名ですよね! ヴァイオリンやピアノ協奏曲のソリストなんかでも、さほどテンポの揺れ動きが少なく比較的統率のとりやすい、モーツァルトやベートーヴェン、そして意外と思われるかも知れませんが、ラヴェルなどでも時折、見られます……。といった話も鈴音は続けたかったのだが、ここの緊迫リハーサルの空気の元では、有出絃人ににらみつけられかねないので ── たとえ相手がどこぞやの王様や大統領、大御所マエストロであろうと、彼は敬意を払ってリハを中断したりはしないだろう ──、そうした詳しい解説は、この場では控えておくことにする。

「ですがねえ、有出さんが振ってくれなきゃ事態は余計に悪くなっちゃうんですよ」
 トロンボーン氏は丁寧に絃人をなだめようとする。
 そろそろ言うべきタイミングかしらと、鈴音がさっと手を上げ、
「ちょっと、すみません。お知らせでーす」
 と待ったをかけて、本番が明日に延期になった旨を一同に告げた。
 なんで? どうして? と、不信の疑問符が辺りに漂う。加えて、だったら早く教えてよ。ペース配分だってあるんだから。といった不満の声も飛んできそう。鬼教師の授業が自習になったぞ、バンザーイ! といった感の反応が主流だった単純Bとは大違い。
「午前の部の本番は通常どおりの11時から。Bチームの先攻で開始されます。その間、皆さんは完全フリー。ですがこれまで同様、ここリハーサル室は0時から翌朝7時までは閉鎖されますので、ご注意を」

 さあ、どうするか。絃人は思考を巡らせた。このままきりの良いところまで続けるか。いや、こんな調子じゃ、きりの良いタイミングなんて永遠に訪れないに決まってる。深夜の0時まで踏ん張るか? あり得ない。こいつらの集中力が持つわけなかろう。潔く終わりにして明日、再びのリハにかけるか。それとも、もはや下手にあがいたりせず、このまま本番まで何もしない方が良いのか。

「一,このまま納得いくまでリハ続行します? 二、明朝に延ばして、短時間だけ確認の合わせをしてみます? 三,あるいはもう何もしないで本番にいっちゃいますか?」

 有出が採決をとるものと、誰もが希望の答えを心に用意したが、
「明日の10時に集合して、一回だけ通してみるってことでいいですね」
 と、勝手に決められてしまう。
「あの~、それでもって肝心の指揮は結局どうなるんですかあ?」
 先のトロンボーン奏者の質問に、絃人は「明日の成りゆきってことで」とだけ答えて解散とした。



 おかげで最上階のフレンチレストランのスタッフ陣は、今宵はてんてこ舞い。これまでゆったり気分で夕食をとる時間も精神的ゆとりもなかったオケメンバーの大半が、今夜こそはガッツリいけるチャンスだぞ! とばかりに次々に押し寄せ、リッチなデザート付きフルコースや、極上ステーキの注文などがやたらと入るのだった。
 普段は番組スタッフらが軽く利用する程度の隣接のバーラウンジも、両チームの金管連中に当然のごとく占領される。バトル関係者は一食につきアルコール一杯までと他の飲食類は、どのレストランでもカフェでもオールフリー。追加のアルコールのみに料金がかかる程度で、懐は殆ど痛まない。酒好き、宴会好きなメンバーであろうとも、毎日続く本番に備えてバトル参加中の飲酒は控え目にしてきたが、ひと区分丸々オフとなると話は別なのだ。
 さりとて思う存分飲みたい放題というほどではなかったし、基本は皆、紳士なので羽目を外す輩も存在せず。
 しかしながら口はそこそこ軽くなるらしく、ライバルチームどうし微妙な距離を保ちながら和やかに酒を酌み交わしつつも、互いに油断なく探りを入れ合うシーンなんかもチラホラ見受けられた。Bチームにおいて密かに進行している恐るべき陰謀説も、Aの偵察係を担うホルン奏者によってまんまと入手される。

──Bにおける次の脱落者は、フルートの少年と決まっているらしい──。

 浅田に稲垣、山岸よしえや安部真里亜といった、これまでコンマスや首席を努めた経緯から自動的に幹部意識の高くなっている者や、そのルームメイトら主に弦楽器の面々が、何となく有出絃人と白城貴明のテーブルの周囲に集い、世紀末ウィーンの芸術談義なぞに花を咲かせていたのだが、金管よりの一報に一同唖然とする。
「美少年が何かやらかしわけ?」
「可哀想に。本人は知ってるのかしら」
「うんと年上の人妻フルートと問題を起こしたとか?」
「それってスキャンダル! 彼、未成年なんだし犯罪だわよ。番組では到底公表できないわよね」
「だったら先に落ちるべきは妖艶美女の人妻のほうでしょうに」
 呆れて騒ぎ出す女性陣。
「違いますよ。まったく何なんですか」
 いったいどうして、こんな発想が即座に生まれちまうのかと慌てて訂正する情報源のホルン奏者。
「優秀な奏者をAに奪われるくらいなら、いっそのこと先に落としてしまおうって魂胆らしいですよ。誰がそんなことさせるものかって」
「まるで、うさぎの子殺しの発想ですね」
「生まれたばかりの赤ちゃんうさぎに飼い主の人間が興味津々で干渉したりすると、パニクった親うさぎが我が子を食べちゃうって話?」
「敵に狙われてるからって身内を殺そうなんて……、あまりに短絡的すぎる」
「しかしBチームがフルートの彼を自ら落とせるチャンスなんて、ありますかね」
 そこで一同は筋書きを考えてみた。
 まず我々Aが勝利したら最優先でフルート少年を奪い去る。ルール上、負けたチームが先に脱落者を選ぶ権利はないのだから、その場合、Bが子殺しを実行するチャンスはない。
 仮にBが勝った場合のみ、少年をあえて落として、Aからどうでもいい誰かを奪える可能性がある、ということか。
「どうでもいい誰かって。仮に一人しかいないフルートをさらわれでもしたら、我々おしまいじゃないですか」
「それにしても、どうしてうちらが彼を狙ってるってバレたんだろうか」
「勝利チームによる引き抜きの権限なんて、すっかり忘れられたと思ってましたがね」
 そこでヴィオラの沢口江利奈が何とも意味ありげな、困ったような表情を浮かべたので、よしえと真里亜はすぐに察してしまう。
「もしかして?」
 ええ、そのもしかして。と、江利奈はルームメイトの倉本早苗が、ライバルチームの妹や仲良し夕子らと楽しげにおしゃべりにいそしむ窓際のテーブルの方向に、僅かに頭を傾げてみせる。彼女らの異常に高すぎテンションにつき合いきれず、そろそろ三日目からは食事やお茶の席もさりげなく離れるようにしている江利奈。しかし早苗が結構気の合っていたフルート奏者の芳村三咲が審査員らによって脱落させられた折、皆が薄情にも、
「嫌な奴が消えてくれて良かった。代わりにBから別なフルートを奪っちゃおう」
 なんて喜んでいた様子に腹を立て、早苗が妹の香苗にぶつくさ漏らしていた会話は聞こえてしまっていたのだ。
「こっちの密かな計画なのに、いちいちバラされちゃうのはマズいですよね」
「逆に向こうの極秘情報が伝わってくる可能性は? むしろ双子をうまく利用できないですかね」
「いや、がせねたを掴まされる危険だってありますよ。情報の入手は我々にお任せあれ」
 とは、先の偵察ホルンの一人。
「金管どうしは用心深く牽制を張り合ってる感がなくもないですが、目下、うちの手下が木管の口の軽そうなクラリネットとファゴットに狙いを定めて、じわじわ打ち解けようとしてるとこでして」

 奥のバーカウンターでは、もう一人の偵察ホルン青年が涙ぐみながら肩を落とし、脇に座るBチームの木管男性が慰めるように、優しく彼の肩を軽く叩いてやっている。
 何やら感動的な光景ではないか。
「ダメですよ。じろじろ見たりしちゃ」
 ホルン男性に小声で注意され、一同は笑いをこらえつつも目線がどうしてもそっちにいってしまう。己の弱さや心の隙をすっかりさらけ出して敵を油断させる巧妙な手口に、皆、感心することしきり。
「さすがに色仕掛けはまだ試しちゃいませんよ。もくろみがバレた時、それこそおっかない殺人バトルに発展しかねませんからね」
 それから彼は、ひと芝居打ってくると言って、当のバーカウンターに足を向けた。

「おい」
 ホルン青年の襟首を乱暴気味に捕まえ、
「ライバルチームの奴らと親しくするな」
 先輩風を吹かした態度で叱責。
「すいませんね。こいつ、すっかり酔って気弱になっちまったみたいで」
 と、二人の木管奏者に慇懃無礼に挨拶して、うなだれる青年の腕を抱えてAの金管仲間の元に連れ去っていく。
 名残惜しげに振り返った青年の怯えきったうさぎの瞳にすっかり騙されたBチームの木管二人は、「ガンバレよ」とばかりに励ましのうなずきを返してやる。

 離れた席から様子を伺っていた弦楽器の面々。唇をかみしめる者、歯を食いしばる者、口元や顔全体を手で覆う者、各々わなわな震えながら必死のしかめ面で大笑いに耐える羽目となる。




31.「ハメルン男と深夜のワルツ」に続く...




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?