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「オケバトル!」 12. ねずみ対スイスの貴公子 ①

12.ねずみ対スイスの貴公子 ①



 その頃、舞台では宮永鈴音が一人、スポットライトを浴びていた。
「ウィリアム・テルは、スイス独立運動の象徴的存在の英雄として、文豪シラーの戯曲『ヴィルヘルム・テル』で広く世に知られるようになりました」

 司会が語る間、じっと舞台で待たされるのはいかがなものか、とのBチームからの苦情を受け入れ、今回は奏者の入場前に司会が解説を入れる方法が試みられた次第である。

「彼の存在した物的証拠がないため、実在とも架空とも言われてますが、スイス人の多くは、やはり英雄テルの存在を『信じていたい』ことでしょう。悪代官の命令に従い、幼い息子の頭上に置かれたリンゴを矢で射落とす、というエピソードも有名ですね」

 初日の舞台では妖艶なドレス・スタイルでの司会であったが、本日からは何しろ一日中、リハーサルのリポートや本番での司会が繰り返されるので、ヘアスタイルの軽いチェンジに、ショールやボレロなどで多少のアレンジは施すものの、基本、衣装は換えず、比較的自由に動きやすい身の丈も短めなワンピース姿を通すことにした鈴音。
 そこまで語ってからおもむろに、手にしていたヴァイオリンをウィリアム・テルのクロスボウに見立てて横に構え、パン! と上手に向けて弓を放つような動作をする。

 一人芝居じゃ、手応え全くナシ。まるで猿芝居だわ 。

 我ながら、あまりにしらけてしまったので、あの~、すみませーん! 私が弓矢の動作をしたって視聴者はピンとこないでしょうから、放送の際は、ここでウィリアム・テルが息子の頭の上のリンゴを射るCGでも入れてくださらないかしら? と、いったんカットの要望をしたいところ。しかし正面の客席上方、音響調光室のガラスの向こうで、ディレクターの鬼アザミが睨んでいるかと思うと、勝手な仕切り直しなんて到底不可能であることも、分かっていた。
 自分が間抜けのように感じながらも、鈴音は台本どおりに説明を続けていく。

「ロッシーニのオペラでは、バスの歌い手によるウィリアム・テルを中心とした抵抗運動、自由と独立の精神が、風光明媚なスイスの圧倒的な自然描写を背景に描かれています。物語は、テノールの二枚目青年アーノルドが、悪代官に父親を殺され復讐を誓いつつも、その代官の娘との恋に揺れる想いなども挟まれ、五時間級の大作となっています。
 残念ながら、全幕が上演される機会は今日では滅多にありませんが、この序曲だけは広く親しまれていて、演奏会では、トランペットの高らかなファンファーレに始まる大変華やかな『スイス独立軍の行進』部分だけが取り上げられることも、しばしば見受けられます」

 司会は解説のどこかで必ずヴァイオリンの演奏も交えること。という指令に従い、鈴音はそこで弓を軽く飛ばすスピッカートの動作で、この曲の最もなじみ深い、独立軍のテーマをピアニシモで何小節か奏でてみせた。
「この、弾力を利用して弓を弾ませるスピッカートという奏法は、こうした早いパッセージを弾くのに効果的なんですよ」
 という説明も忘れない。

「さあ、バトル二曲目の演奏開始です!」
 司会者だけに当てられていたスポットライトから、ここで舞台全体に照明が点され、Bチームの面々がそぞろ出てくる。
「おや? 先攻のBチームも、本日は服装をシックなモノトーン路線に整えてきたようですね。気合い充分といったところでしょうか」
 オーボエの倉本香苗によるチューニングを経て、審査員が客席に入る。いよいよ準備が整ったところで、ミッキー氏こと山寺充希がネズミ走りよろしく小走りに現れ、指揮台にぴょん! と飛び乗った。

 威勢のいい指揮者がよくやる小走り登場は、実はキケン。勢い余ってヴァイオリンの譜面台を倒しながら指揮台につんのめるか、飛び乗り損ねて客席側に落っこちたりの事故報告もある。台を飛び越え反対側の弦楽器に、楽器の破壊とともにダイブしたという悲劇的な例は、今のところはないらしいが。

「ねずみオケ」と「貴公子団」、その勝敗や如何に!? といった緊迫の場面で、番組の初回放送はこれにて終了。

「視聴者の皆さん、来週をどうぞお楽しみに! 次回は〈ウィリアム・テル〉を始め、三つの序曲が競われます」
 司会は声のトーンを更に高らかに、
「司会はわたくし、宮永鈴音でしたー!」
 と締めくくる。
 彼女は客席に手を振って優雅に下手に立ち去り、舞台に取り残されたBの面々。
 なんじゃこの展開は? と誰もが愕然とする。
 うちら、これから演奏を始めようってのに、え? 何? ここで終わっちまうんですかい? と。

 通常なら本番、しかもテレビ番組の収録といえば、秒刻みのスケジュールにて企画側と出演者の間で綿密な打ち合わせがなされた上で舞台が進行してゆくものであり、万が一、主催者側の不手際が生じた際など、集中を妨げられた奏者が「やる気なくした」とばかりに、芸術家気取りで ── あるいは本当に演奏できなくなって ── プイと出て行ってしまう危険だって、なきにしもあらず。
 しかしこのバトルシリーズでは奏者への細やかな配慮は、あえて無視されている。腹を立てて出てゆく身勝手なんか通用しない。バトル挑戦者らが、不測の事態を如何にスマートに切り抜けるか、といったところも審査の重要ポイントとなるのだから。

 動揺、あるいは腹を立てるBのメンバー中、冷静だったのは指揮台に立つ山寺充希。出足をくじかれた感がなくもなかったが、一同を見渡し、
「これは終わりでなく、始まりなんです」
 と、しっかりした声色で告げる。
「これは番組で、今から第二回の収録が始まるということです。栄えある開始の曲を、我々の勝利の演奏で飾ろうではありませんか!」
「おーっ!」という金管メンバーの気勢とともに、ミッキー氏の短くも勇気を呼び覚ます演説に感動したチームメイトから、さかんな拍手がわき起こる。
 しかしながら、曲の出だしは静かなる夜明け。指揮者は仕切り直しに、いったん全員を起立させ、客席の審査員一同に深々と一礼する。制作総指揮にして審査委員長の長岡幹氏が、「Bの実力を見せてくれたまえ」とばかりに深くうなずいたのを大いなる励ましと受け止め、仲間に向き直ったミッキー氏もオケ全体をゆっくり見渡し、同じように大きく皆にうなずいてみせた。

「はあい、皆さ~ん? バトル・オブ・オーケストラ、番組も二回目を迎えましたが、準備は万端ですかあ?」などと、ここでまた司会が再登場し、甘い声に軽々しいおしゃべりで舞台をかき乱されると面倒なので、指揮者は誰の合図を受けることもなく指揮棒を宙に構えた。



 しかし実際、当の宮永鈴音はとっくに舞台袖から立ち去っており、ロビーラウンジの大画面に映る、厳かに始まったBチームの演奏を背景にカメラに向かっていた。
 画面の様子を紹介しつつ、各チームの目下の状況をかいつまんで説明する。指揮者を立てるか立てないか、どちらもオケも楽器の配置は前回のままのようだ、とか。
「前回の流れ」として、これまでのバトル内容は編集により紹介されるため、余分なコメントは必要ない。先ほどの舞台では、長すぎるてダレそうなのを考慮して省いた楽曲解説の追加部分を、モニター音量を下げたBの演奏に乗せて話してゆく。

「ベルリオーズに『四つの部分による交響曲』と言わしめたこの序曲」

 音楽に耳を傾けるように、いったん間を置く。そしてタイミングを見計らって言葉をつなぐ。楽曲の構成を良く知っている音楽家ならではの配慮だ。

「同じく全体が四つに区切られていた昨日のリストの〈レ・プレリュード〉では、各々のテーマに密接な関連性がありましたよね。ですがこのロッシーニの序曲では、四つの場面がオペラの展開をイメージした全く関連性のない動機による、異なる四曲となっています。
 美しきスイスの情景、嵐に牧歌といった自然描写や、勇ましき独立軍のテーマは、完全なる標題音楽と言えるでしょう」

 はい、終わり。と、鈴音は撮影スタッフから離れ、ソファに軽く腰掛けた。カメラが回っておらずとも、人前でだらしなく深く椅子に沈み込んだりはしない。背筋もぴしっと伸びたまま。両足は常に膝より外に流し、恵まれた美脚をよりいっそう長く見せる演出も忘れない。
 台本は見ず、暗記によるトークなので、必要以上に神経を使うことになるのだが、トーク付の舞台でも、カメラの前でも、何かを読み上げて話すのは主義に反する。ヴァイオリンの演奏時もソロの場合は基本、暗譜で通す。暗譜も暗記も得意ではないものの、実力の足りない分は必要以上の配慮と精神力で補うのだと常に自分に言い聞かせている隠れ努力家なのだ。
 司会の台本は、今回のレギュラー審査員で、音楽ライターでもある作家の青井杏香の用意した楽曲解説に、ディレクターの藤野アサミが視聴者受けしそうなアレンジを施したもの。杏香のアドバイスに従い、内容をただ丸暗記するのではなく、知識としてきちんと理解した上で、自分の話しやすい言葉に置き換えてある。その上で舞台や客席の反応や、その場の状況でアドリブも交えながら臨機応変に対応していくには相当な集中力を要する。
 だからといって、「ああくたびれた!」なんて愚痴や不平不満は滅多にこぼさないのだが、休火山のごとく突然、「もうっ! この靴、歩きにくいったらないわ!」などと脱ぎ捨てた靴を壁に投げつけたりとか、予測不能の大爆発を起こしたりするものだから、「美人のわがままアーティスト」と見られがちの、損な役回りを演じてしまっているのが実情だ。
 しかしそうしたイメージの方が、周囲は必要以上に気を遣ってくれるもの。親しみやすい愛されキャラより、お高くとまっているくらいのほうが、人からは距離を置ける。他人に隙を見せない意地悪な小悪魔の方が性に合っているし、実は気が楽なのだ。

 大画面ではBチームの熱演が、いよいよクライマックスを迎えている。

 鈴音は思った。全曲カットなしで放送されるのは勝利チームの演奏だけ。可愛いミッキーくんが、
「勝利の演奏で第二回の番組冒頭を飾りましょう!」
 なんて演説してたみたいだけど、番組ではどうせ一部しか流されないだろう。準備周到だったAの圧勝に決まってる。ミッキーがどんなに頑張っても、あの有出絃人率いるAチームには勝てないはず。

 といった鈴音の予想も、少しは外れることになる。審査員のジョージだけは、今回はBを推したのだ。




「ねずみ対スイスの貴公子 ②」に続く...




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