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「オケバトル!」 31. ハメルン男と深夜のワルツ

31.ハメルン男と深夜のワルツ



「何かが引っかかる」
 初日からの三日間ずっと張り詰めてきた中で、今宵はゆったりディナーに極上のワイン、広々とした眺めの良いスパでじっくり身体をほぐしたりと、充分なくつろぎタイムでかなりのリフレッシュをはかれたものの、どうも腑に落ちない。有出絃人は自室のベッドで仰向けになっての完全睡眠モードに至っても、何かが気になって仕方がなかった。
「何だか騙されてる気がするんだよね」
 眠気への誘いとしてウォルター・スコット詩集の原書をうとうと眺めていた白城貴明は、独り言めいたルームメイトのつぶやきによって、スコットランドの荒涼とした原野から現実世界へと引き戻された。
「え、何? 騙されてる?」
「というか、試されてる、かな。番組側に」

 本来は熾烈なバトルが繰り広げられるはずが、つかの間とはいえ自由な時間をもらえて皆が好き放題存分に飲み食いして、こうしてのんびりくつろいで。本来は歯を食いしばって頑張ってるはずが、何の疑問もなく楽しんじゃったりして……、何か腑に落ちなくて。という絃人の懸念に、
「だけど歯を食いしばってちゃ、優美なウィンナ・ワルツは弾けないですよ」
 と、少々的の外れた貴明の返答。
「確かに。でもみなさん、肩に力が入っちゃってるんですよね」
「中には、いそうだがね。ウィーンや、ヨーロッパに長年滞在していて、本場のワルツのリズムが身に染みついてるメンバーだって」
「そう。心身に染みついてなきゃ、理屈なんかじゃなくて身体で感じられなきゃ、ただの猿マネ……」
 言いながら、絃人が「そうだ!」と、飛び起きる。

「実際に踊ってみればいいんだ!」

 ルームメイトの思いつきを、白城貴明は当然のごとく冗談と解釈したし、仮に本気だとしても、翌朝の音出し前の準備運動くらいが関の山と踏んだのだが、まさか彼が夜中にチームの全員に招集をかけようとは思いもよらなかった。
 精一杯の抵抗策として一応、言ってみる。
「寝てる人もいるだろうし、朝がいいと思うけど……」
「睡眠学習って言うでしょ。寝る前に身体にリズムを覚えさせれば、今夜早速夢の中でワルツが踊れますよ」
「といっても女性はすぐには身支度できないだろうし、時間はかかるだろうな」
「バトル期間中、ここはホテルじゃないんだから、パジャマでもネグリジェでも、バスローブ姿だっって誰も気にしませんよ」
 絃人はあっさり言い放ち、
「一番遅くに来た者には罰ゲームが課せられるってことにしよう」
「せめて有志の参加にしては?」
「そんな消極的な声かけじゃ誰も集まらない。全員絶対服従の命令にしないと」
「命令に従わない輩がでたら?」
「一人でもサボったら、こちらも協力しない。指揮を降ります」
 てことは……、振ってくれるんだね! 貴明は絃人の言葉を逃さず捉え、

「全員が応じてくれさえすれば、本番で有出さんが振ると言っている」

 という条件で、連絡網による緊急招集をかけ、そのもくろみはどうにか成功する。
 既に寝支度を整えていた者、酔いつぶれ、仲間によってベッドに運び込まれて爆睡していた者、中には今夜はゆとりがあるからと美容パックを施していた女性までもいたのだが、罰ゲームが恐ろしかったか、楽器は必要なく手ぶらでオーケイだったためか、意外や20分かそこらで全員が──泥酔者は仲間によりベッドから引きずり出され──リハーサル室前に揃っていた。
 理不尽な命令によっていきなり呼び出されたにもかかわらず、何だ何だ? 何が起こるんだ? と、深夜の肝試し、あるいはドッキリ番組のノリで、皆が物見高げに集まってくれたので、貴明が憂慮した苦情の大洪水は回避された。
 部屋から地下へはエレべーターや階段でぞろぞろと、一行はほぼ一緒にまとまって下りて来たため、ただ一人遅れて駆け込んでくる者はおらず全員がセーフで、罰ゲームを課せられる人間もいなさそう。どのみち首謀者の頭には罰ゲームのアイディアなんて、はなから存在していなかったのだが。

 まずはソシアルダンスの経験者を募ってみるも、名乗り出る者がいなかったので、言い出しっぺの責任から絃人一人が皆の前に立ち、ワルツの基本ステップから始めてみる。
「最初はみんな同じ方向で。同じ場所で足を踏んでみましょう」
 まず「右」で膝を落として踏みしめて、「左・右」では身体を伸ばして軽くつま先立ち。そのまま今度は「左」を大きく踏みしめて、「右・左」で、つま先。
 右、左・右。左、右・左。右、二・三。左、二・三。ほら、簡単簡単でしょ。

「なるほど! 二・三の後打ちは、つま先で軽くってわけですね」
「そのおとり」

 ワン・トゥー・スリー、ワン・トゥー・スリー。アン・ドゥ・トロワ。アインス・ツヴァイ・ドライ……と続け、目指すはウィンナ・ワルツだけど、ワン・トゥー・スリーで気軽にいきましょうかね。
「次はスクエアで」と、単純なその場の足踏みから、今度は二小節で反時計回りに四角を描くステップへと進め、リズムの強弱のコツをつかんでゆく。
 ワン、で右足を縦に一歩踏み出して、浮いた方の足をトゥーで横に出してつま先立ち。スリーはその場で足をチェンジするだけ。つま先立ちのままで。
 二小節目。新たなワンでは、今度は左を深く後ろに下げる。で、また横で軽いトゥーステップ。そうすると四角になるでしょ。
 さすがに音楽家の集団らしく、もたつく者はいないようだ。絃人がヴァイオリンを取り出し、軽い三拍子のリズムを奏でていく。皆もふんふんとリズムを口ずさみながら楽しく乗っていく。

「では適当にペアを組んで向かい合ってみてください。あ、無理に男女で組まなくていいですからね。まだ本番でないので」
 との絃人の指示に、「本番って?」と、不安になる一同であったが、絃人は構わず続けていく。
「互いの胸の前辺りで両手の平を合わせて。鏡みたいに。同じくスクエアでやってみましょう。男性パートが右足を踏み出すと同時に、女性役は左足で後退りますよ」
 最初のうちは単純明快なリズムでかっちりと。徐々に微妙な間合いを入れて乗せていく。
「そおら、ダンスっぽくなってきた」 
 少々はにかみながらも、まだよく打ち解けていなかったチームメイトどうし手を重ね合わせることで、一挙に距離感が縮まっていく。そうした様子を見計らっての絃人の次なる注文は、
「せっかくのいいムードのお二人さん方を引き離しちゃうのは悪いんですけど、いったんペアは解消でーす。メロディーや頭打ちを主に担う方=男性役と、後打ちや合いの手が主体の方=女性役と、二手に分かれてください」
「普通、メロディーが女性のイメージで、それを支える後打ちが男性、じゃないですかね?」
 との質問も出たが、
「どのみち入れ替わりますから大丈夫。それにソシアルダンスの場合は、男性が添え物の女性を美しく魅せるよう引き立てつつ、華麗に主導権を握る世界ですからね」
 と軽くかわし、
「例えば管だったら首席と二番手、同じ楽器どうしで組んでみるといいですよ。その上で、〈ドナウ〉の首席は頭打ち、もしくはメロディーを、二番手は後打ちを口ずさんでみて。ヴァイオリンはファースト&セカンドとか、メロディーを担うチェロや頭打ちのコンバス&後打ちのヴィオラが組む、といった具合にお願いします」
 あぶれてはカッコ悪いとばかりに、必死でパートナー探しを開始する一同に、絃人が叫び気味に声をかける。
「厳密でないので、余った方は余ったどうしでいいですよー。実際の性別なんて、気にしなくて結構」

 右往左往と、多少の混乱は起きたものの、どうにか56名全員がパートナーを見つけ、28組のカップルが成立し、再びステップを踏み始める。
「動きに慣れてきたら、実際のオケでの自分のパートを感じてみて。口ずさむ程度でいいので」
「ふんふんふんふーん♪」とか、「ん、チャッチャ♪」といった、いかにも気持ちよさそうな鼻歌や調子の良い音頭が聞こえ始める。
 両手合わせのスクエアが様になってきたところで、いよいよ本格的なポーズで組んでみることにする。男性役の左手と女性役の右手を組み合わせ、男性役は右腕を女性役の腰に回して、女性役は左腕を男性役の背中に添える。
「そんな恥ずかしいことできません、なんて言わないでくださいよ」
 と、文句を言われる前に絃人が釘を刺しておく。
 皆がドギマギしながら精一杯の努力でもって互いに最接近しようと試みるところへ、リーダーによる追い打ちがかかる。
「欲を言えば、女性役は左斜め上を仰ぐように身体をぐっと反らすと様になりますよ」

 しっかり組んでのスクエアができてきたので、今度はジグザグ気味に一方方向に進んでみましょう。円になって。男性役は前に進み、女性役が後退し続ける形で。
 そんな具合に、有出絃人は一同の様子を見計らいながらレベルアップを要求していく。
 そろそろ自由に回ってみて。円から外れちゃって良いので、皆さんどうぞお好きな方向に踊ってみましょう。さあ! 自由に踊るんです! 二人で息を合わせて。

「慣れてきたら、男性役と女性役を交代してみるものいいですよ」
 てな調子で自らもワルツのステップを踏みながら〈青きドナウ〉のメロディーを奏でていく絃人。洗練されたダンスの動きが完全に身についている経験者とおぼしき男女のペア、白城貴明とヴィオラの女性を目ざとく捕まえて、群舞の中から引っ張り出す。
「すみませんが、完璧なお二人さんには演奏に回っていただけますか」
 女性のほうは、そこで非常に困った表情を見せる。無理にワルツを踊らされるより、伴奏に徹する方がよほど気が楽だろうにと思いきや、何やら都合が悪いのか、名前を尋ねても、あからさまにされたくないのか、「すずか……」もにゃもにゃと、口ごもる。その「すずか」が、鈴加や鈴鹿といった名字なのか、鈴香というファーストネームなのかも判別不能。どうやら目立ちたくない理由がありそうだが、ここは協力してもらわねば。
 貴明は一応チェロを用意しており、謎の「すずか嬢」とやらには絃人が自分のヴィオラを差し出す。チェロがメロディー、ヴィオラは後打ち、ヴァイオリンは頭打ちと合いの手をそっと添えて、ウィンナ・ワルツの華麗なる舞をサポートする。

「緊急事態。Aチームに異変が起きた!」
 との監視ルームからの通報で機材とともに駈けつけ、一部始終を周到に収録していた撮影スタッフも巻き込んで、絃人は「いざ、本番へ!」と一行をメイン会場に定めたロビーラウンジへと、ヴァイオリンを弾きながら誘導。
 何だか自分が、子どもを騙して連れ去る「ハメルンの笛吹き男」にでもなった気分になりながらも、
「何だ何だ」、
「今度はどこへ行くんだ?」
 と、期待とともにぞろぞろ付き従う一行の足取りが、しっかりワルツのリズムを刻んでいる様子に笑みがこぼれてしまう。

 高い天井に豪華に煌めくシャンデリアの下、深紅の絨毯を踏みしめて、本場ワルツのノリによる弦楽トリオ演奏に乗せての、深夜の大舞踏会。燕尾服にイブニングドレスの正装だったら、さぞかし映えたであろう。それでも真夜中という魔法が加わってか、不思議で怪しげな雰囲気の中、皆がトランス状態でくるくると旋回を繰り返す。
 こうした模様は、本番の彼らの演奏と重ねて流せば最高の演出になること間違いナシ、と番組スタッフは時間外労働の不満も眠気も忘れて大いに満足する。
 やがて絃人はヴァイオリンを置いて、隅に置かれたスタインウェイに向かい、さらさらと軽いアルペジオを流しながら、弦を奏していた二人に向かって、
「どうぞ、お二人も踊りの輪に加わっていいですよ!」
 それから〈青きドナウ〉の絢爛豪華なアレンジを、皆のダンスのノリ具合に合わせて即興で奏でていく。

── 彼はピアノもいけるのか! ──

 まず、音色が、音質が違った。ダイヤモンドのごとく煌びやかな輝きに、美しく透明な凛とした響き。
 たかがワルツ、されどワルツ。ウィーン風円舞曲の二拍目と三拍目が前倒しに打たれる伝統のリズムを品良く保ちつつ、斬新な響きの絶妙和声に、華麗に駆け巡る音階や流れ打つアルペジオが華を添える。
 プロのピアニストとして充分通用する卓越した技巧と抜群のセンスの良さに、チームメイトも、夜勤のフロント係や撮影スタッフも皆、感心することしきり。これはヤバい。ヤバすぎる。

〈美しく青きドナウ〉による演奏会用パラフレーズ。

 管弦楽の名作をピアノ版に編曲する技術にかけては右に出る者がいないと言われる、フランツ・リストによる版か? 
〈青きドナウ〉も、リストの手にかかっていたのか? 
 多くの者が天才リストにの手によるトランスクリプション(=編曲)と信じ込んでしまうほど優れたアレンジによる、素晴らしき演奏に乗ってワルツを踊れる喜びを素直にかみしめる。
 当の絃人は決してピアノと編曲の腕前をひけらかそうとしたわけではなく、皆にゴージャスな気分を味わって欲しかっただけなのだが、そうした効果は充分に得られたようだ。


 しかしただ一人、モニタールームで一部始終を監視していたディレクターの藤野アサミの頭の中にだけは、まったく別な音楽が流れていた。

 プロコフィエフのバレエ音楽《シンデレラ》の舞踏会のワルツ。

 元来は生真面目なメンバー揃いのAチームになるはずが、常識の枠に捕らわれないハメルン男、有出のせいで、真夜中のダンスをメインロビーで堂々と披露するような、奇妙な謎の音楽集団になってしまったではないか。思惑外れもいいところ。まったくどうしてくれようか。

 有出絃人に洗脳されたAメンバーの深夜の奇怪な行動。

 健全な国民的ワルツの音楽よりも、怪しげなプロコフィエフの短調のワルツを重ねてダンスの映像を流す摩訶不思議な演出のほうが、この状況にははるかにマッチするに違いなかろう。ふっふっふ。
 制作の長岡によって、いったんは番組から降ろされかけた鬼アザミであったが、当初の契約を振りかざして何とか生き延び、未だにしぶとく音響調光室の玉座に踏み留まってモリアーティ教授の笑みを浮かべるのであった。




32.「明るい夏の朝」に続く...




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