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ゼロから始める伊賀の米づくり49:世代交代と技術の承継がもたらすもの

今年の稲刈りは、父が他界して4度目、父から実家の圃場や設備を継いで4度目の稲刈りとなります。

それ以前の私は京都を拠点としたNPO法人場とつながりラボhome's viにて組織運営の支援や研修、ワークショップの実施、プロジェクトマネジメント等を行っていました。

父の亡くなった1年目は、一旦京都での仕事をストップさせ、祖母や母のいる家族のケアに費やすと同時に、暗黙知となっていた兼業農家としての米作りのプロセスの形式知化、見える化、マニュアル化を進めてきました。このブログもその形式知化の1つの手段です。気づけば49本の記事を書き連ねてきました。

この数年間の過程は今振り返ってみてもなかなか辛いものがあり、これまで育ってきた家族との関係や自分自身の価値観や人生の方向性、仕事やパートナーシップなど、その他さまざまな大切にしたいものとのバランス等、向き合うべきものがとても多かったことが思い出されます。

それでも、病室で父に『自分がこれから家の田んぼをやっていくよ』と伝えたことや、これまでの私自身、生業として取り組んできた組織変革やコミュニケーションの方法論等を支えにしつつ、総動員しながら、世代交代と事業承継、技術の承継を行ってきました。

そのプロセスは、ソース原理(Source Principle)と呼ばれる人の創造性とコラボレーションに関する知見によって振り返ることもできました。

4度目の稲刈りを終えた今、穏やかな心境でこれに向き合えているのですが、明確に何を感じているのかはこれから言語化することが明らかになってきそうです。

今回の記録では、事業承継や技術の承継がもたらす事業としての成果と、その最中にいる人間の内面という2つの観点も踏まえつつ、今年の稲刈りについてまとめてみようと思います。


収穫から籾摺り、袋詰めまで

稲刈りは毎年、天候を心配するところから始まります。

例年、5月連休に田植えを行い、9月初旬に稲刈りを行うのですが、稲刈りの時期は台風の発生とよく重なる時期でもあります。

稲刈りの際、田んぼからは水を抜き、稲も乾いた状態でスタートします。しかし、雨に濡れたり、台風によって泥になった地面に穂が倒されてしまうと、その後の作業工程やお米の品質に影響が出てしまいます。

そういった経緯から稲刈り前の天気予報チェックは日課となるのですが、今年はどうにか晴天の中で稲刈りを始めることができました。

8月中旬の台風により、倒伏してしまっている稲

収穫作業はコンバインという収穫機械に乗って行います。父から継いで以来例年、お盆の時期からメンテナンスを前もって始め、9月の稲刈りに臨むのですが、何度かのトラブルもありつつ、収穫作業が始まりました。

コンバインの運転席から見える景色

現代の米作りのプロセスは戦後以降の機械化が進み、精密に繋がったフローによって成り立っています。

稲刈りに関しても、コンバイン、乾燥機、籾摺り機など複数の重要な作業工程に機器が存在し、そのどれか1つの機械、1つの部品が欠けたり故障したりすると、その後の作業が中断される、ということも起こり得ます。

だからこそ可能な限りの機器のメンテナンスを行うのですが、最後には天候や「やってみないとわからない」という不確実性が残ります。

今回、天候には恵まれましたが、実際に作業に移ってみることで発生する不具合が様々な過程で起こりました。

収穫した籾を軽トラに積んだネットへ移している様子

不具合やトラブルが発生した際、人によって様々な行動を取ります。慌てる人、パニックになって当たり散らす人、まず原因を自分なりに確かめて対処しようとする人、とりあえず助けを呼ぶ人などです。

家族経営と言える兼業農家の場合、一般的な企業とは異なり能力や資質などで人員を配置することがないため、作業フローやコミュニケーションについてミスマッチやすれ違いが起こることもしばしばあるようです。

我が家も例に漏れず、先代、先々代を支えてきた祖母や母と私は衝突し、やりづらさも抱えながら初年度などは行っていました。

ただ、4年という時間をかけて、私自身は先代、先々代を支えてきた地域の先輩たちともつながり、関係を築き、また、地域の先輩たちもまた、私たち家族とどのように向き合うか、付き合うかについて時間をかけてちょうど良い距離感やバランスを探ってきました。

今年に関しては、これまで私主体で行ってきた作業工程の半分以上を弟にも預けながら行うことができ、少しずつ一極集中のワンマン経営状態から脱しつつあります。本当に頼もしい限りです。

様々な機材トラブルに見舞われながらも、家族、地域の先輩方との協力や連携がこれまで以上にうまく噛み合い、着実に作業を進めていくことができるようになってきました。

別の田んぼへ移り、収穫した籾を軽トラへ移している様子

実は今年の稲刈り途中、熱中症になって数時間ダウンしていた時もあったのですが、家族4人体制で回せていたため、ことなきを得ています。

ただ、この時は大黒柱の一極集中モデルを再現してしまったのではないか?と反省がありました。

あまりに多くの作業と責任を1人の人が引き受けすぎると、当たり前ですがその人は体調を崩すこともあるかもしれませんし、その人がいなくなってしまうと何も回らなくなってしまいます。

それは、父から継いだ時の私が感じたものであり、繰り返してはならないと考えていたパターンでした。

やはり、日頃からの助け合いや共助の精神は大切にしようと感じた瞬間です。

自助努力と公助の間の、共助。共に助け合い、共に少しずつできることや貢献を増やしたり、人に与えていけるようなあり方です。

パートナーと弟による玄米の袋詰めの様子です

いざ、収穫量を数えてみると今年は30kg袋が81袋の合計2430kgの収穫でした。

2022年が93袋の合計2,790kg、2021年が91袋の合計2730kg、2020年が81袋の2430kgと考えると、昨年までよりは収穫量は落ち、私が初めて米作りに取り組んだ2020年と同様の収穫量。

収穫量が落ちたことには、様々な要因が考えられます。

1つは、田んぼ内の栄養の偏り。肥料がより広い神社前の田んぼには足りて言いなかったようです。

1つは、雑草の侵入。雑草が侵入すると本来、稲に行くはずの栄養を雑草が吸い上げてしまい、その分稲の収穫量は少なくなります。加えて、雑草の侵入は機械の故障の原因にもなるため、除草剤を使用する、伸びてきた雑草は引いて田んぼの外へ運び出す、などの方法を取る必要があります。

1つは、田植えのちょっとしたミス。田植え機の設定で植え付ける苗の分量設定に失敗し、少しまばらな空間を作ってしまったのも影響しているかもしれません。

1つは、天候。今年は雨が少なく、猛暑日が多いという年でした。特に気温の上昇がいかに稲の生育に影響をもたらしたのか、個人的には地元の田んぼに張り付いていなかったので不透明なところがあるものの、今回の収穫量に影響したように感じます。

最後の1つは、技術の承継と人員の交代。今回、田植えと稲刈りに関しては弟の作業による箇所が多く、その技術的な関係から田植えの甘さ、収穫の際の稲の取りこぼし等も見受けられました。

ただし、最後の要因に関しては誰もが初めから技術的に習熟した状態で進めることができない上、そもそも普段は地元とは別で生活している等、かつての父や祖父とはまったく異なる条件下での作業になります。

私自身も日々の稼ぎの柱として米作りに取り組んでいるわけではないため、無理強いをすることもできません。

まさか、奇しくも私が初めて主体となって始めた2020年の数値と同じ結果になったのは驚きですが、今後も弟が作業を担ってくれるとなった際、続けていく中でどのように収穫量も変動していくのか楽しみでもあります。

以上、つらつらと書き連ねてきましたが、何より大きな怪我もなく、機器の損傷もなく無事に家族の協力体制によって終えることができて感謝です。

今年の籾摺り作業が終わった際の表示

今年の稲刈りを終えての振り返り

上述の作業を振り返る時点で既に諸々の振り返りをしてきましたが、ここからは作業を一段落しての心境をまとめてみようと思います。

まず、1つ感じるのは、私たち家族は新しい段階へ踏み出しつつある、という感覚を得られています。

父のいない家族、米作りの営みというものも少しずつ形になってきつつあるということ、また、作業の見える化と経験の積み重ねにより、ワンマン経営モデルから自律分散型の組織モデルに少しずつ移行しつつあることを感じられるためです。

家族経営の家に生まれたことは、家族のトランジション(人生の転換・変容)と、財産や事業をどのように扱うかというまったく別物として扱うべきテーマを時として一度に体験することとなります。

それでも、自分自身の大切にしたいこと、実現したい家族像や生き方に照らし、田んぼを継いでやってこれたことはよかったな、と感じています。

稲刈りを終えた我が家の田んぼ

もう1つ、大きく感じたのは自分以外のあらゆるものへの感謝です。

こうして無事に稲刈りを終えることができるのは、当人の努力を超えたさまざまな人や事柄の助けがあってこそです。

家族、仕事仲間、地域の先輩方、これまで受け継がれてきた土地や自然があること、天候や自然といった人知を超えた営み……そういった、稲刈りを取り巻くひとつひとつの要素やそれらのつながりを、現在の自分は感じ取ることができます。

これらは何ひとつ自分の意志で完全にコントロールすることはできず、奇跡的な巡り合わせで成り立つものです。

米作りは、今年90歳のベテランも『毎年、初めてやるような気持ちや』と仰るほど、人間として介入できる限界のある営みです。

そうした心境になった時、作業を一段落できて感じたのは、何よりも感謝でした。

これまでもそうでしたが、これからも、できる限りの最善を尽くして自然やと土地、自分の生まれ育った環境や宿命に向き合いながら、その中で楽しんで暮らしていければと思います。

稲刈りを終えた田園風景の中に佇む神社

この記録を残すことで、どのような方にご覧いただけるかわかりませんが、何か感じ取っていただけるものがあれば幸いです。


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