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コーヒー32:コーヒーの歴史(日本①)

おはようございます。
今朝も日差しも気持ち良くて穏やかな朝。週末はこうあって欲しい、と思える様な天気で、ようやく春も戻ってこようとしているのかなと感じる。

さて、人類がコーヒーを発見してから20世紀までの、「飲み物として」と「生産地として」の広がりを見てきた。
簡単にまとめると以下のようになる。

6世紀    コーヒー(アラビカ種)の発見(エチオピア)
15世紀   アラビアに伝播
16世紀   トルコに伝わり、世界最初のカフェがオープン
17世紀   ヨーロッパ、アメリカ各国で飲まれる様になり、アジアで栽培開始
18世紀   中米の植民地に苗木がもたらされ、南米にも生産拡大
19世紀   ハワイへ苗木が届けられ、コンゴで新種(カネフォラ種)が見つかる
20世紀   エスプレッソの機械も発明・浸透して各国で様々な形で楽しまれる

これがコーヒーの世界的な、現在に繋がるコーヒーの歴史の流れになるが、それでは日本ではどのように広まっていったのだろうか。今日からは2回に分けて、日本のコーヒーの歴史を見ていきたい。

17世紀(江戸時代前期)

オランダ人が出島に持ち込む

日本に一番最初にコーヒーが届けられたのは、鎖国中の3代将軍徳川家光の時代。唯一開かれていた長崎出島(1636年〜1859年閉鎖)のオランダ商館で駐在していたオランダ人による。この直前からオランダはジャワを中心にアジアで生産されたコーヒー豆をヨーロッパに輸入してアムステルダムで売り出している。アジアで仕入れられたコーヒーをオランダ商人たちが出島で自分達用に持ち込んでいた。彼らと接触できた役人や商人、蘭通詞(通訳)、遊女などの限られた日本人を接待する際に食事を出したとされているので、ビールやワインと共にコーヒーが提供されていた可能性も高い。

18世紀(江戸時代中期)

蘭学者たちが植物として紹介

わが国初と思われるコーヒーの文献が18世紀に残っている。
蘭学者志筑忠雄の訳書である「萬国管窺」(1782(天明2)年)、そしてコーヒー(古闘比以と記載)の紹介記事が掲載された蘭学者林蘭梯の「紅毛本草」(1783年)がそれにあたる。しかし、どちらも飲み物というよりも植物図鑑としての紹介だった。
「萬国管窺」では「阿蘭陀の常に服するコッヒイというものは、形豆の如くなれども、実は木の実なり」と著し、豆ではなく木の実であると正確に述べているあたりが専門書らしさを伺わせる。

19世紀(江戸時代後期〜明治)

日本でのコーヒー文化の根付き

日本で最初のコーヒーを飲んだことに関する記述が残っているのが19世紀。
ここから日本でのお茶としてコーヒーの歴史が本格的に始まったと言える。

当時の日本人の評価
その記述は1804(文化1)年に大田蜀山人(本名は大田南畝)により書かれたもので、日本人自身の手によるわが国最初のコーヒー飲用体験記。
これを書いた大田南畝は、昼は大田南畝の名で下級武士として、夜は大田蜀山人として狂歌師や戯作者、また学者としてもマルチに活躍した文化人。彼を中心にして、武士や町人たちの身分を越えた交流が生まれ、江戸後期のさまざまな絵画や文芸が花開いた。
現代風に言えば、人気の副業インスタグラマーが「最新トレンドのコーヒーって飲み物飲んでみたよ!」と発信しているようなものだ。では彼はどうコーヒーを評したか。「紅毛船にて"カウヒイ"というものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくて味ふるに堪えず」、つまり、『豆を黒く炒って粉にしたものに白砂糖混ぜて飲んでみたけど焦げ臭くて味わうとか全然無理』とのこと。
散々緑茶を飲んできた当時の日本人には、新しいものにも抵抗がなさそうな大田蜀山人を以てしても苦味が強すぎて馴染んまなかったようだ。

しかし、その後人々のコーヒーに対する関心も高まり、蘭学者によるコーヒー著述活動が盛んになりました。多くは、コーヒーに関する本草学・植物学・医学・薬理学的内容が中心でたて方や飲み方の製法・手法に至るまで江戸時代末期にかけてコーヒーの資料は質・量ともに充実していった。
また日本人だけでなく、長崎出島詰め医師として来日したシーボルトは1824年の『薬品応手録』にコーヒーの飲用をすすめた一文を載せました。彼は200年以上もオランダ人と交流のある日本人が、いまだにコーヒーを飲む習慣がないのに驚いて、コーヒーは長寿をもたらす良薬として大いに宣伝した。

コーヒーの輸入開始
また、1856年には日本に初めてコーヒーが輸入された記録が残っているが、1853年にペリーが来航して翌年日米修好通商条約調印。「治外法権を認める」、「関税自主権がない」といった不平等なものであったが、これにより日本における自由貿易が開始された。
当然アメリカに続いてオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を結び、翌年からは横浜、長崎、函館の三港で貿易を開始。日本は生糸、お茶などを輸出して輸出超過となった一方で、1858年にコーヒーの輸入も正式に始まった。


*上記の情報は以下のリンクからまとめています。

https://www.ucc.co.jp/enjoy/encyclopedia/history/index.html

明日は19世紀後半の一般生活へ浸透していく流れを見ていこう。


僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。


皆様も、良い週末を。

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