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最愛のペットを失った私のゴールデンウイーク

「マロン!起きて!もう寝ちゃうの!?」「起きて!マロン!」

ゴールデンウイークが始まったばかりの日曜日の朝、家じゅうに響く母の声で目が覚めた。まだ寝ぼけまなこの状態でベッドにいた私は、「あぁ、また朝から何?」といつものことのように聞き流していたが、どうやら様子が違う。



「マロン」とは我が家の愛犬の名前だ。今年2月に17歳になり、その後あっという間に寝たきり状態となっていた。

犬の年齢で17歳はかなりの老犬。病気はしていないものの、歩けなくなり、立てなくなり、痩せていき、目に見えて衰えているのが分かる。

ついに寝たきりとなってしまい、母と協力しながら、排泄から食事、水分補給まで24時間体制で世話をしていた。寝たきりのため、床ずれもできてしまい、数時間おきに体勢も変えなければならない。

寝たきりになっても、可愛い目をぱちくりとさせてこちらを見ていたり、大好きなおやつも進んで食べていたり、穏やかに過ごしている日も多かった。

ぱっちりおめめがチャームポイント

かと思えば、朝から一日中、「ハァハァ」と息切れを繰り返していたり、食事中に寝落ちしてしまうほど眠りに落ちてしまってなかなか起きなかったり、やはり老犬のため、日によって体調の良し悪しには差があった。

おそらくもう、いつ旅立ってもおかしくない。「その日」は近づいているかもしれない。そんなことを何度も考えながら、時に「その日」を迎えたことを勝手に想像してはひとりで涙することもあった。

それでも「マロン」はいつでもそこにいて、なんだかんだ長生きしてくれている。私は在宅ワークだが、在宅とは言え、仕事しながら愛犬を介護するのは大変だった。それでも私は愛犬の世話をすることが大好きで、マロンの介護も楽しんでいた。「その日」が来るのはまだもう少し先かな、と思いながら仕事にも邁進していた。

けれど、急に「その日」はやってきた。




寝ぼけまなこで母の声を聞き流していたが、「もしかしてもうお迎えが…」と慌てて自分の部屋を飛び出し、マロンの元へ駆け寄った。

やはりいつもと様子が違う。

朝起きるとまずはマロンを抱えて庭に連れ出し、おしっこをさせるのが毎朝のルーティンだ。元気な頃はこれが朝のお散歩だったけど。

いつもならその後「ハァハァ」と呼吸をしているのに、今日はその息づかいがない。それでも、ときどき口を大きく広げようとしている。一生懸命呼吸をしようとしているようだが、目はうつろだし、心臓の鼓動も弱々しい。

あぁ、来てしまったんだ。お迎えが…。一瞬で悟った。

母は何かずっと声をかけているけど、もう涙声だ。

私たちにはもう何もできない。ただただ、穏やかに苦しまずに旅立ってほしい。そんな気持ちで、どんどん弱まる鼓動を感じながらずっとマロンの体を撫でていた。



もし「その日」が来たらどうする・・・?
今まで何度も想像していた。きっと現実を受け入れられなくて、パニックになって、涙が止まらなくなってしまうんじゃないか。そんな風に想像していた。

けれど、実際にその日を迎えたとき、意外と冷静でいる自分に驚いた。

涙は出てくるけど、「とうとうこの日が来たんだね」「頑張ったね」と現実を静かに受け入れていた。

母も隣で、「マロンが最初にこの手を差し出したんだよ」と初めて会ったときのことを思い出していたり、「今日はマロンのご飯を注文する予定だったのに」と、今日のマロンとの予定を嘆いていたり、泣きながらも一生懸命この現実を受け入れようとしている。

今思えば、その前の晩はなんだかいつも以上に息切れしていて、苦しそうにしていた。朝まで本当によく頑張ったよ…。

2024年4月28日 午前6時45分 マロンは静かに旅立った。

ペットの葬儀屋さんに後から聞いた話だが、通常犬は息を引き取るとき、手足をばたつかせたり、ぐるぐると同じ場所を回ったり、少し異常な行動が見られるのだそう。

でも、マロンにはそのような動きは見られず、本当に静かに、穏やかに、眠るように息を引き取った。苦しかっただろうに、それを私たち飼い主に見せまいとしていたのか、本当に穏やかな気持ちで最後までいたのかは分からない。けど、葬儀屋さんに「本当に穏やかな顔をしていますよ。最後まで幸せな気持ちでいたんですね」と言葉をかけられ、なんだか心が救われた。




マロンが息を引き取ったその日は、もちろん悲しい気持ちでいっぱいだったけど、一番つらかったのは次の日、火葬に出したあとだった。

亡くなったその日は、意外にも自然と現実を受け入れていて、それはたぶん、「精一杯マロンと最後まで一緒に過ごせた」「最後までお世話できた」「最後を看取れた」という、後悔がなかったからだと思う。

そして亡くなったとはいえ、単身赴任の父が帰ってくるまでひと晩、マロンの体は我が家にあった。時折いつものように声をかけて体を撫でて。

ただ、つらいのはその後だった。次の日火葬に出したが、17年も一緒にいて、生活の中心だった存在がいなくなり、毎朝のルーティンがなくなり、マロン中心だった生活のリズムが崩れ、声をかける存在がいなくなり、撫でてあげる体がないことが、寂しすぎた。

我が家に来たときはまだ2ヵ月の小さな子犬
17年って長いようであっという間

火葬に出した後は、もう撫でてあげられない、という現実が心に突き刺さる。17年間、ずっと我が家にいたマロンがいない、という状態が悲しくて寂しくてたまらなかった。

亡くなって数日経っても、ふとしたときに朝から涙が止まらなくなる。

この時ばかりは、在宅フリーランスで仕事をしていてよかった、と心から思った。会社にいたら、まともに仕事なんてできないし、涙が止まらなくなってトイレに籠り、出てこれなくなっていただろう。

在宅ワークだから、泣きたいときに好きなだけ泣けるし、好きなだけ休息を取れる。

今年のゴールデンウイークは、みんなが休んでいる間にがっつり仕事して稼ごう!そんなことを4月には思っていたけど、全く仕事どころではなくなった。

既に抱えていた納期のある最低限の仕事だけこなして、あとは心の休息に充てた。どうせ仕事にも身が入らないから、2~3日は休息しようと決め、メールの不在通知だけ設定し、休むことにした。

こんなときにサクッと休めるフリーランスでよかったと思った。一方で仕事をしないと収入がなくなる不安もあったけど、この状態で仕事を受けたところで身が入らない。

気晴らしに外出してみるが、心はずっと重いままだ。

仕事をするでもなく、外出するでもなく、ただただ心が回復するのに時間をかけたゴールデンウイークだった。ただベッドに横になり昼寝を続けたり、ただただスマホで動画を見続けたり。

そろそろ前に進まないと、と思うけど、体が動かない。

そうやって過ごしている中、ゴールデンウイークの終盤、急に何かが吹っ切れたように、体も心も軽くなった。

朝は6時半に目覚ましをかけても二度寝、三度寝が普通だったのに、目覚ましをかけずとも、なぜか6時過ぎには目が覚めるようになった。体と心が赴くままに、朝の散歩を始めた。朝に散歩をするなんて、何年振りだろうか。

7時を過ぎてもなかなか起きれなかった私が、ここ3日間連続で6時に目覚め(しかも目覚ましなしで)、いつもやっている朝ヨガをしたあとに、朝散歩までやっている。

なんだか新しい朝の習慣ができてうれしい気持ち。それと同時に気分も上がっている。

心に赴くまま、朝7時にビーチまで散歩していた

何がきっかけになったのかは、はっきりとは分からないけど(おそらくYouTubeで流れてきた朝の習慣に関する動画に無意識に感化されたかも?)、落ち込むだけ落ち込んだから、あとは浮上するだけだったのかな。

マロンがいない寂しさに自分で自分を苦しめず、寂しい気持ちも悲しい気持ちも十分に浸って、通常運転に戻るのはゆっくりでいい、と自分に言い聞かせていたのがよかったのかも。

おかげでブルーな気持ちを長引かせず、自分のペースで徐々にいつもの調子に戻ることができた。むしろこれまで以上にパワーアップしているかもしれない。

マロンも次のステージに行ったのだと、思うようにしている。私たちとの暮らしも最高に幸せだったけど、変化は必ず訪れる。ずっとこのまま、は存在しない。だからマロンも次のステージに進んで、そこでお友達とたくさん遊んで、マロン自身をさらに楽しませている。そう思う。

だから私たちも次のステージに進んでいる。私もパワーアップしている。そんな風に思えてきた。

ほとんど何も手につかず、心がず~んと重いゴールデンウイークを過ごしていたけど、思いがけず新しい朝の習慣を手に入れて、また頑張ろうと思えてきた。

人生は浮き沈みがあるし、自分ではどうにもできないこともある。でもその状態から無理に自分を切り離そうとせず、時の流れに身を任せて、受け入れて、徐々に自分のペースに持っていければいい。

気分の落ち込みも、次のステージに進むための準備期間だと捉えるようにした。「~しなきゃ」というプレッシャーも自分に与えない。ただただ、今の状態を受け入れる。ゆっくり進む。

エネルギーが低下していた1週間だったけど、そのおかげでまたエネルギーが上がっている気がする。

人生で一番悲しいゴールデンウイークを過ごした分、この先はまた最高な日々を送れるはずだ。

早朝はなんだかエネルギーが高まる瞬間






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